映画レビューの賛否のありかた

映画館で上映されている映画やサブスクリプションで配信されるドラマや映画を観てレビューをしている人は少なくない。自分もその一人でだ。

そのレビューや批評。評価といった中で映画作品に対して賛否あるのは当然で、多くの人が理解しているところだと思う。

映画に対して賛否をいうのはネットが普及する前からあったもので、
・ラジオ番組などへの投稿による感想の共有
・映画雑誌などによる投稿欄
・ブログなどによる個人サイトによる感想の共有
・ポータルサイトによる掲示板書き込み
・Yahooなどの映画ニュース記事の掲示板書き込み
・SNSによる情報発信
と変化してきている。

ラジオによる感想の共有はパーソナリティの読むことで、投稿内容とセレクトのフィルターがかけられており、感想の多くが好意的なものであったりする。

映画雑誌などによる投稿欄も同様で、そのコーナーの担当者によるフィルタリングにより、過激なアンチ投稿はほぼ掲載されることは少なかった。


しかし現実的には映画マニアによる
「●●という作品の、ここがダメだった。あそこがダメだった」
という悪評が存在したのは事実でもある。
それが個人の感想であり、エゴであり、わがままなものであることも多くあるが、多くの人へ広まることは少なかったとも言える。

それがブログなどが発達することで、
「自分の意見はこうだ!」
というものが積極的に発信できるようになった。
ポータルサイトの掲示板なども同様。

それがSNSの発展によりリアルタイムで映画の評価を書くことができる時代になり、その影響は顕著に出ることも少なくない。

その感想やレビュー。映画批評で目立つのは、悪評といえるものだたりする。

この映画の●●についてはリアルじゃない
とか
本業☓☓の人が映画●●を観て思ったこと
といったタイトルが付いているものも少なくない。


例えば「ロストケア」にしても
「本物介護士がこの映画をみて思ったこと」
といった感想がYouTubeにあがっている。
YouTubeタイトルに関して言えば、少しあおり気味であったり、過激な表現をすると再生数が伸びる傾向があるし、期待などを盛り込ませる内容になっていることが再生数増加の流れがあるので、よくあるパターン。

内容に関しては、
「●●の部分は現実的には☓☓だから、すこしリアルと違うところもある」
といった感想が出るのも仕方ない。その一方で「模倣犯が出ないことを祈る」といった現実的な内容を語る人もいる。

社会派映画の場合だとリアルを描きすぎると「生々しさ」ゆえの映画として難しい表現との違いに演出する側が悩むことは多々あるといえる。
それ故に
「映画の中では●●という方法だが、実際にはあんなことはしない」
というよく見るツッコミがあるのがこの傾向と言える。

これを
「ツッコミ」
と取るか
「悪評」
と取るかは書いている側の文脈にもよるので簡単には片付けられないところ。

また最近では「シン・仮面ライダー」だと賛否が真っ二つになっており
「何これ…酷評ネタバレ感想  マジで酷すぎ」
「最低最悪『 シン•仮面ライダー』【最新映画レビュー】
といった悪評から
「大絶賛『シン・仮面ライダー』感想動画!ネタバレあり
「最高に面白かった シン・仮面ライダー」
といったものまで賛否あるが、YouTubeレビューでは悪評が多かったりする。


ところがTwitterになると直感的な感想が多くなり、絶賛率が高くなるから不思議なものです。

このように絶賛する評価と対極に位置する酷評もあるのがSNSの特徴でもあるが、2021年に口コミに対しての影響をまとめたレポートがある

「「絶賛の口コミをきっかけに観に行く」人が約6割! 半数近くの人がWeb上に感想を書いた経験あり ~社会人男性の映画鑑賞とWebマーケティングの実態調査~」

というもので、独自調査となっている。

このアンケートでのポイントは
Q7、Q8の口コミの影響力の部分かもしれない
・酷評が多かったら観に行かない戸思う
・酷評の理由が納得できれば見に行く
・知らない人が的確に酷評していたら観に行かない
・知人が酷評していたら観に行かない
で63%を締めているという部分。

・酷評の理由が納得できれば見に行く
は「理由が納得できるかどうかのポイント」があるとは言え、酷評によって映画の鑑賞の可能性が6割の人に影響を与えているという部分。
映画館に人が集まり、興行収益が上がらないと次の映画は作られない
しかし
多くの人ががっかりするような映画を上映をしても人は二度と映画館に来なくなる可能性がある

という二律背反的な物がある故に酷評は全て良くない…ということにはならない。

しかえ映画に対して興味を持った人を劇場に足を運ぶ機会を止めてしまうのは映画業界からすれば大問題でもある。

それ故に、一昔前のブログでは、
好評、絶賛系は早くからアップするが、酷評は上映から時間が経ってからアップするという
「誰が言い出したかわからないが、映画館に迷惑をかけないようにする『気遣い』」
があったがSNSの発展やブログ読者数の増加を優先する人の増加によってそういった「気遣い」は無形のものとなっている

映画の評価は賛否あって当然なのだが、批判する側は観る人に対しての配慮が少なくなってきているのが現代だろう。

誰もが見える場所でのサムネイルに
・最低の映画
・観る価値なし
といった
「個人の感想だとしても行き過ぎたワード」
が並んでいることも少なくない

そういった更新がきっかけで映画鑑賞者が減る…という可能性まで意識したとは思えないワードが並ぶのは問題だし、映画製作スタッフはもちろんボランティアスタッフの方々が観たらどう思うか?
という配慮は見えない。


先述の通り、再生数を伸ばすために過激なワードを乗せるサムネイルが増えているのは事実だが、そのために映画作品に対して無意味に悪評を「誰もが目にするサムネイルに使用する」というのは、個人の感想だとしても結果的に映画全体に悪い影響を与えかねないと思われる。

何度もいうが、映画作品への批評はあるべきだし賛否あるのも当然。ただ不特定多数の人が観ている人が不快になるサムネイルは避けるべきだと思う次第です。

そういう中で信頼できるレビューを観る…というのと同じくらい大切なのが酷評をする人の感性と自分の感性が似ているかどうか…。
これってとてもわからないことなんですよね

結局は使うユーザー側が自衛するしか無い…という部分は変わらないのかもしれませんが…

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