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映画と街歩きが好きなひとの日記 / カナダ / 毎月更新 / 最新話▶https://www.thefraser.com/

最近の記事

『ゴジラ-1.0』

外から見たゴジラ 真っ暗な映画館内に重低音が響く。耳障りな、しかし聞き慣れたリズムだ。IMAXの巨大スクリーン内では、小洒落た街並みを覆い尽くすように、鋭利な岩を体中に生やした壁がまっすぐに立ち上がる。壁の片方にある長い尾は地面を裂くようにゆっくりと揺れ、もう片方にある二つの目はこの世の憎しみを閉じ込めたかのように燦々と光っている。街を破壊して歩くカイジュウの全貌をとらえたヒロインがその名前を呼ぶ。映画に詳しくない人も必ず知っている名前。「Godzilla」という一言に、場

    • 『Disappearance at Clifton Hill』

      謎を解く映画 地下鉄を待つ間に、頭上のモニターを確認する。時刻、天気予報、コマーシャル、地方ニュース。まばたきする間に内容は変わっていくものだが、その日はずっと同じ映像ばかりが繰り返されていた。ナイアガラの滝周辺の国境で起こった爆発。自動車事故という話らしいがテロという言葉も見かけた。あの日、私が目にした情報のなかで、どれだけの表現が的確なものだっただろう。 「真実と嘘。どっちがどっちかは自分で考えなさい。まだまだ、お勉強が必要ね」 ナイアガラの滝で有名な観光地を舞台に

      • The Children Have to Hear Another Story

        物語の再編成 ふくよかな毛皮を着込んだリスたちが、何かを探して庭園内を往来する。それと示し合わせたかのように、大学構内を歩き回る若者たちもまた、大きなダウンジャケットを揺らして先を急ぐ。冬空が街を包むようになると、トロント大学はオープンハウスに集まった人々で賑わう。それぞれ念入りに建物を見学し、職員に質問し、進路を熟考する。中にはまだ小学生ほどの子供たちもいた。歴史ある天井絵を見上げながら、どんな将来を想像しているのだろう。 大学内の美術館では、アベナキ族の居留地「Odan

        • 『Steel Blues』

          鋼のブルース トリニティ・ベルウッズ公園の木々が葉を落として黄色や茶色のカーペットを作る季節。年末の足音を聞きつけて、周囲の店頭には鮮やかな菓子類が並び、色とりどりの花が飾られている。ガラス越しでも甘い匂いが伝わってくるようだ。浮足立った街の様子を見るうちに、私はいつのまにか頭の中で家族や友人のために用意するクリスマスプレゼントを数え始めていた。 主人公は大きな赤い袋を抱え、寒空の下を歩く。しかし、袋の中身はプレゼントではない。製鉄所内のオフィスに着くと、書類を携えた職員が

        『ゴジラ-1.0』

          『Mademoiselle Kenopsia』

          何もない映画 自宅でテレビをつける、帰宅時に携帯を持つ、休日に映画館へ行く。映画鑑賞には多種多様な方法があり、技術によって変化してきた。どんなデバイスを使用していても変わらないことがあるとすれば、それは映画を見るという行為が、本質的に孤独なものだという事実ではないだろうか。大勢で集まったときでさえ、見たり聞いたりした感覚は、本人にしか分からない。同時に同じ映画を見たはずの友人が、自分の記憶とは微妙に違う場面や台詞を覚えていることもある。一人でいることと孤独であることは違うのだ

          『Mademoiselle Kenopsia』

          夜を照らすホームビデオ

          真っ暗な公園に着くと、すでに場所取りを済ませた人々が芝の上で寝転んだり、ピクニックシートを広げている様子が見えた。目前には小さなスクリーンが立ててあり、しばらくすると、ぼんやりとした森林の映像が闇に浮かび上がる。映像の中では、小さな兄妹と両親、祖父母が楽しそうに歩いている。音声はない。時折、スクリーンの後ろを通り過ぎる電車のガタンガタンという音だけが鳴り響く。電車の明かりに照らされて公園内の木々が影を作り出すと、映像と現実の境目がなくなってしまい、私は思わず確かめるように周囲

          夜を照らすホームビデオ

          『BlackBerry』

          いらないものが消えたあと 高級店の並ぶヨークヴィル、その外れにひっそりと構える映画館に向かう。ダウンタウンでも比較的小さめの館内には、チケット購入用の自販機と、係員の待つカウンターがあり、私は何気なくカウンターの方を選んだ。年配の男性係員が「良いチョイスだね」と言って、小さな紙のチケットを手渡す。ただの社交辞令かもしれないが、それでよかった。係員との些細な会話。それが映画館にいる実感を湧き立たせてくれる。 今年五月に映画『BlackBerry』が公開されてから、多くのメデ

          『BlackBerry』

          レナード・コーエン展に行く

          雪解けが始まった頃に見るオンタリオ美術館は、まるで巨大なスノードームだ。春休みを間近に控え、館内は元気いっぱいの子供たちで溢れている。塗り絵を提供しているロビーに着くと、小さな巨匠たちがコンクリートの床に寝転んだまま、自在にクレヨンを操っている最中だった。あっちやこっちへ、着地点を知らないカラフルな線が白紙を覆い尽くしていく。 人気を博しているレナード・コーエン展「Everybody Knows」の入口には、看板の代わりにコーエンのトレードマークであったフェドーラ帽子が掲げ

          レナード・コーエン展に行く

          『Wavelength』

          波をみた人 有名企業や銀行がずらりと肩を並べるベイ通りには、隣接する賑やかなヤング通りとは対照的に、閑静な佇まいがある。いつも五時を過ぎると人がめっきりいなくなり、通りを見下ろす旧市庁舎の時計塔だけが律儀に鐘の音を響かせ続けている。黒服のベルボーイと赤い松明が出迎えてくれる五つ星ホテル、セント・レジスの壁面には、一月に他界したマイケル・スノウによる公共アート「Lightline」が隠されている。暗くなると菖蒲のような紫色の光を放って、夜空に線を引く、巨大な作品だ。しかし、人

          『Wavelength』

          『Nalujuk Night』

          夜を駆ける仮面 日本の祖父母の家で過ごした幼少時代、家での娯楽といえば映画を見たり、庭で草花を摘んだりと静かなものが多かったが、季節の行事があるときだけは一転して賑やかだった。特に騒がしかったのは節分で、祖父はいつも昼間から窓を全開にして、細身の体からは想像もつかない大声で咆えながら豆を撒いた。おそらく町中に聞こえていただろう。彼はイワシの頭を下げた戸口からヒョイと顔を出しては、まじめにやらないと鬼がくる、もうそこまで来ているぞ、と私や近所の子供たちを脅したものだった。

          『Nalujuk Night』

          『Tu dors Nicole』

          夏の終わり 今年の夏は、ふと思い立って水族館「Ripley's Aquarium」の年間パスを購入することにした。お酒やダンスフロアに関心の薄い私でも気軽に立ち寄れる遊び場所を増やしたいというのが表向きの理由だった。しかし心のどこかに焦燥感があったことも承知している。夏になった途端に湧き上がってくる感覚――今のうちに楽しいことをしておくべきだという、期待にも強迫観念にも似た、あの妙な感覚のせいだ。 言葉にならない感情を詩的な映像へと昇華させてきたケベック映画。その名作とし

          『Tu dors Nicole』

          途中下車、サイレントヒル

          ユニオン駅からナイアガラ方面に2時間弱。まだ午前中とはいえ、辿り着いたブラントフォード駅は突き刺すような陽射しに焼かれていた。さっきまで観光客で溢れていた電車内から一転、駅構内はしんと静まり返っている。 それとも、私だけ別の世界に降り立ってしまったのだろうか。何しろ、この町には恐怖に満ちた裏世界への入り口が存在するのだから。 2005年、大規模な開発を間近に控えたブラントフォードの中心街は映画『サイレントヒル』のロケ地として使用された。ゴシック風デザインの建物や狭い路地と

          途中下車、サイレントヒル

          点から線へ『In The Wake of Progress』

          人は線ではなく点でできている。物心ついた頃、大人からそう聞いた。人の体は目に見えないほど小さな細胞という点が何億も集まって作られているのだと。話を聞いただけではどういうことかよく分からなかった。じっと自分の腕や足を見てみても一枚の肌で覆われているようにしか思えなかった。 六月。毎夏恒例のストリートフェスティバル「Luminato」の出し物を見るため、ダンダス駅に降り立つ。モールの地下でコーヒーを買って、しばし街をそぞろ歩く。日没が近いものの看板や広告で溢れたダンダス・ストリ

          点から線へ『In The Wake of Progress』

          『Nightmare Alley』トロントに降る悪夢

          「今日は何をやっているんだい」 粉雪が舞うカレッジ・ストリートに声が響く。振り返ってみると杖をついた初老の男性がこちらを見つめていた。映画館「Carlton Cinema」の前で熱いコーヒーをすすりながら扉が開くのを待っていた私は、寒さと期待に震える声で答えた。 「題名はナイトメア・アリー。なんでも、カーニバルを舞台にしたノワール映画らしいですよ」 題名が示す通り、私は今日めくるめく悪夢を見るためにやってきたのだ。 クラシック映画への愛に溢れた映像、ホラーとファンタジ

          『Nightmare Alley』トロントに降る悪夢

          Jack Chambersと、雪に消えたもの

          再び実施された自己隔離と規制のため、トロント市内での新年は静かなものとなった。2月から3月にかけて規制緩和されていくという話だが、年明け早々トロントを訪れた猛吹雪のあと上から下まで白一色に染まった街角で「閉店」の紙きれを見かけるのは寂しいものがあった。 いつか食べに行こうと思っていたサンドイッチやケーキが突然消えてなくなってしまった事実に打ちのめされる。コロナ禍において私は常に「なにかを逃した」という焦りと後悔に悩まされ続けていると思う。そんな気分になったときにふと思い出す

          Jack Chambersと、雪に消えたもの

          時代の痛みから生まれたもの

          年の瀬は久しぶりにオンタリオ美術館までピカソ展を見に行くことにした。貧困に喘ぐ人々や孤独な人々を描き続けた『青の時代』、そのモデルや時代背景を考証する今回の展示には慈恵の心を呼び起こすような作品ばかりが並んでいる。ふと目に留まったプレートには、ピカソの友人による「彼はアートが痛みと苦しみから生まれるものと信じていた」という言葉が残されていた。その言葉が頭の片隅にあったせいだろうか、美術館から帰ったあとはデヴィッド・クローネンバーグの作品『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』を

          時代の痛みから生まれたもの