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『Disappearance at Clifton Hill』

謎を解く映画


地下鉄を待つ間に、頭上のモニターを確認する。時刻、天気予報、コマーシャル、地方ニュース。まばたきする間に内容は変わっていくものだが、その日はずっと同じ映像ばかりが繰り返されていた。ナイアガラの滝周辺の国境で起こった爆発。自動車事故という話らしいがテロという言葉も見かけた。あの日、私が目にした情報のなかで、どれだけの表現が的確なものだっただろう。

「真実と嘘。どっちがどっちかは自分で考えなさい。まだまだ、お勉強が必要ね」

ナイアガラの滝で有名な観光地を舞台にした『Disappearance at Clifton Hill』の中で、謎めいたマジシャンは主人公アビーにそう言い放つ。子供の頃に目撃した誘拐事件を忘れられないアビーは、亡き母親が経営していたモーテルを売却する際、古い写真を見つける。写真だけを手掛かりに事件を追い始めたアビーはとりわけ、地元で名を挙げたマジシャン一家、昔から地域に貢献してきた実業家に疑いの目を向ける。しかし真相に近づくにつれて、彼女自身が積み上げてきた嘘もまた、少しづつ剥がされていくことになる。

タイトルにもなっている舞台の中心、クリフトン・ヒルは、どこを切り取ってもドラマチックなナイアガラ川付近にある遊歩道。遥か昔から変わることない川や渓谷とは対照的に、地元商業は時代と共に廃れていったものばかりだ。例えば、アビーの母が大切にしていたレトロで家庭的なモーテルは、ネオンカラーが迸る娯楽施設へと改装される。誘拐事件の謎解きに興じる一方で、アビーは母親がモーテルを売却した本当の理由にも向き合うことになる。彼女が証明したかったのは事件の真相ではなく、自身の信憑性に他ならない。虚栄に満ちた人生を送る人間が、より深い陰謀の渦に巻き込まれたとき、どうなるか。真相を解明する過程そのものまでも紐解く美しいノワール作品だ。

調査の途中、アビーは上流から流れてきたものを拾い集める地元歴史家に出会う。上流から流れてきた遺留品などを拾いながらポッドキャストを配信している、なんとも風変りな男性を演じるのは、これまで映画界に多大な恐怖と困惑を与えてきたデヴィッド・クローネンバーグ。あいまいな権威として完璧な人選だと思う。彼はアビーのことを賢い子だと思ったのに、と言って冷笑する。腹の立つ場面だが、実際のところ、こうやって報道に振り回されながら生きている私に賢さは足りているだろうかと不安にもなった。

ニュース、ソーシャルメディア、フィクションと、世界にはあらゆる情報が滝のように流れ出している。正確な情報を見極めるには、きっと自分が嘘をついてきたこと、否定してきたこと、気付かぬふりをしてきたことを認める「謎解き」が不可欠になってくる。


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