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中国には日本の紀元前に春秋戦国時代があって諸子百家の人材輩出、人物宝庫が繰り広げるこれぞ人間の魅力を考察するに後世に名を残した思想大家たちが列挙競い合う、ある種の威信を懸けた闘いの様相を呈していたかのように映ります。老子、荘子、孔子、孟子、孫子、墨子、荀子、韓非子はとりわけ現代においても彼らの生き方が人間の生きる指針の役割を果たしています。

当時の中国は民族ごとに国が形成されていました。言語や習慣すらも異なる多民族形成エリア地帯という呼称が適当で、その時代の林立した国同士を武力で平定しエリア史上、初めて天下統一したのが、万里の長城を作ったことで知られる秦の始皇帝です。秦の時代は長くは続かず、始皇帝死後の争乱の後、天下統一を果たしたのが項羽と劉邦で知られる劉邦が打ち立てた漢になります。

先ほど挙げた思想大家の方々は単なる市井の一人として一生を終えていません。例外は老子ぐらいですが、老子は克明な資料が少なく様々な憶測もあります。
彼らはいわば諸国に仕官することで、それぞれのもつ思想、考え方の実践を試みることに生涯を捧げたと言えます。
現代的には戦略的ブレーンに置き換えられるのかもしれません。大学教授か評論家的立ち位置プラス官僚的側面でしょうか。

しかし、彼らが設定した目標は単なるアドバイザーに収まるのではなく活きた思想を永遠のものとする、その過程で死ぬのも可と覚悟していた、己の使命の全うすることに生きることでした。

世の中が乱れ、諸国がしのぎを削って生き残る為に戦いを繰り広げていくから戦国時代と呼ばれる理由があります。逆説的に生き残る為にはこうすれば良いと具体的にアピールできる人物がゆくゆく思想大家となる方々へと該当します。
これまた世界中の現代の経営者が敢えて言えば、春秋戦国時代に生まれた思想を無意識意識関わらず、取り入れている点は間違いありません。まさに生き残りたいと思っているからです。

故に生き残ることができるに値する企業であり人物には大きな役割があることを意味します。例えば、血も涙もない非情のマキャベリズムのベースとされる韓非子の思想にも人間を知り尽くし探求する意が込められており、自分の思うがままにすれば良いとは一言もなく逆だと理解します。

私が今一番大事だと思う思想は老子です。
道を表す‘タオイズム’と総称される俯瞰する姿勢、「道とは道なき道のことを云う」とした穏やかでなければ物事を見極められないのだとする教えの軸に触れてみるのです。

誰しもが現代のネット社会では発信者であって傍観者。一拍の間もなく感情の発露を共有したい人たちだけで繋がり合うヴァーチャル・コミュニティ。その住人であることに疲れてしまう時にタオイズムが活かされます。

老子の思想から今一度、自分自身を顧みて、まずは一日スマホの電源を切って、近くの緑を散策する余裕をもつことから始めたいものです。

タオ―老子 (ちくま文庫) - 加島 祥造著

今回、老子について触れるきっかけとなった一冊。発刊当時すぐに購入して読んで以来、先日、本棚からふと取り出して再読するや、今更ながら目からウロコ。口語訳の斬新さは今読んでも著者のセンスに脱帽します。




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