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ビジネス用語を哲学する #おしり

言葉について考えるのが好きで、毎日仕事ばかりしている。早晩、ビジネス用語を掘り下げたくなるのは当然だった。不思議な用語はたくさんあるが、めぼしいものから書いてみようと思う。

本日取り上げるのは「おしり」である。

おしりとは、四足歩行動物の胴の後方下部、すなわち臀部でんぶを意味する言葉である。別名は「尻」。桃にも似たその美しく神々しいフォルムに敬意を払い、丁寧語を添えて人々はおしりと呼ぶ。

ビジネスの場では、胴体の末尾という意味が転じて「締切」の意味で使用される。たとえば、書類の提出を依頼した際に「おしりある?」と返された場面を想像してほしい。

この場合、相手が確認したいのは書類の提出期限がいつかである。間違っても、あなたには臀部が問題なく付いていると答えたり、スタイルに自信があるからといって自慢のヒップを見せつけたりしてはならない。

人によっては、「おしり決まってる?」と尋ねてくる場合もある。

今朝は寝坊して身だしなみを整える時間があまりなかったから、今日のボトムスはあまりオシャレなものを選べなかったと落ち込み返答に躊躇するかもしれないが、その必要はない。危うく自分は今日のスケジュールにグラビア写真集の撮影を入れていたのではないかと疑いそうになるこの台詞も、単に期日確認したいだけなのだ。「おしり大丈夫?」と尋ねてきた上司が心配しているのはあなたの臀部のアザではなくタスクの進捗状況だと心得なければいけないし、「おしり教えて」に対して自らの臀部を指差しながら「こちらです」と伝えてしまうようでは社会人失格である。

とはいえ、そもそもなぜ「おしり」が期日を意味するのかを今一度考える必要はないだろうか。身体の末尾を意味したいのであれば「つま先」でも構わないはずであるが、「つま先決まってる?」とは誰も言わない。それこそ今日はペディキュアを付けてきたかと確認されている気がしてしまう。

「今月の始め」を「今月の頭」と言い換えられるのとパラレルに考えるならば、終わりに相当するのはやはりおしりで良さそうである。つま先の対になるのは手先であり、そこに始点と終点の概念はない。

これにはおそらく進化論的な経緯も関係している。一般的な四足歩行動物のビジュアルを思い浮かべればわかるように、生物の身体の末尾といえば当然に臀部なのだ。身体構造としての終点。あと、うんこが出るのもその辺である。

ここまで考察をしておいて今更だが、一歩間違えばセクハラである。コンプライアンスが声高に叫ばれる今日、ギリギリである。「おしり教えて」はセーフだが「おしり見せて」はアウトだなんて、自分が第二言語として日本語を学習していたら発狂しているのではないかと思う。

今時の若者には伝わらない可能性が高いし、用法を理解していても、聞き手として判断に迷うケースは少なくなさそうである。会議でエクセルのガントチャートを使ってプロジェクトのスケジュールを説明しているとき、画面を右にスクロールしないと映らないAA列のタスク期限を確認したい上司が「おしり見せて」と言ってきたらそれは多分というかおそらくというかなんかもう概ねセクハラである。

リスク回避のためにはどうしたらよいのかといえば答えは簡単で、単に「期日」や「期限」と言えばいいだけの話である。だが、ムラ社会を生きてきた日本人の性なのか、直接的な言葉を忌避するきらいがあるのだろう。こじらせた結果なのか「デッド(deadline)いつ?」と仕事中に当然生死の境目を尋ねられたりするのだから、マイルドな言葉を使いたくなる気持ちもわからないでもない。

そう、ビジネス用語には何かと子どもっぽい言葉が多いのだ。今回取り上げた「おしり」をはじめ、現代の多様なビジネス用語は表現の幼稚性という点で不思議と共通している。

昭和のモーレツサラリーマンを中心とした男社会だから許されてきた表現なのか、それとも、現代ほどカタカナ語が普及しておらず、期限、稟議、決裁といった厳格でカタいビジネス用語に囲まれている中で、少しでもやわらかいニュアンスを出そうとした結果なのか。謎は深まるばかりだが、こんな深夜までnoteを書いているようではおしりの意識があまりにも足りない。


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