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2024年を飛躍する年にするために、自分の人生を振り返ってみた(20代後半編)

さて、2024年を飛躍の年にするための私自身の人生の振り返り、最初をご覧になられておられない方がおられましたら、下のリンクをご覧ください。

20代前半は主に学生時代についてでしたが、2009年から私は社会人になります。ところが、大学卒業の時点で『就職活動』ができておりませんでしたので、しばらくはフリーランスで頑張っておりました( ´艸`)

振り返ってみれば、当時の私は「会社で働くことで、自分の能力を発揮するイメージがない」というのが本音でした。まぁ、それは40歳になった今でも具体的なものがあるというわけではないのですが…笑

一方で、私自身は「探求する」ということについては、非常に力を発揮できると考えています。この点については、自信があります。

学生時代に佐賀大学の進学や九州大学の経済学部への転学、九州工業大学への大学院進学の話もあるにはあったんですが…まぁ、家庭の事情でかなわなかったのです、まぁ、結果的にそれはよかったことにしようかと思いますが。

ただ、今思えば、本当にありがたいことなのですが、私が立ち上げたボランティア団体「MEDIASEEDS」で福岡市の助成事業を受託するためのプレゼンを作成した際に、九州大学の名誉教授、福岡工業大学の教授、富士ゼロックスのCSR部を立ち上げた当時の部長…その3者から企画の立案、事業計画の策定、プレゼン対策…すべてのことを1か月間の間に指導を受けさせていただくことができました。(ちなみに、当時は福岡大学の学生の立場でした)

ですので、考えてみれば…情報収集を行い、問題を見極め、その解決方法を考え、プランに起こし、そして、それを実行し、その成果をモニタリングし、改善する。いわゆる、PDCAサイクルについては、大学生の後半の時期に学ばせていただいておりました。(ちなみに、私自身は電気工学科で超伝導体の二ホウ化マグネシウムの実験が卒論だったので、それも考えてみればPDCAの連続でしたし、前の記事でご紹介させていただいたバイオマスプラスチックの社会実験についても査読付き論文にチャレンジさせていただきました)

さて、話は戻して大学卒業後しばらくは、フリーランスで広告代理店業をやっていると…なんと、中学時代に通っていた塾の先生が創業されて、婚活支援事業をされているという…10年ぶりの再会…いやぁ、本当にびっくりでした。

その後、2009年の6月から福岡市NPOボランティア交流センター「あすみん」の相談員として、仕事を始めることになるのですが…この時にお会いしたのが、当時の株式会社アーバンデザインコンサルタントの取締役の十時さんでした。

「1か月間インターンシップをやってみて、やれそうだったら雇おう」と十時さんから言われ、あすみんに1か月間通う日々が始まりました。また、そのとき、十時さんが私が住んでいる福岡市早良区小田部校区で、自治協議会の副会長をしていることを知ったのです。

十時裕さんとの出会いは、私の今後の人生の大きなターニングポイントであったことは、間違いありません。彼は、地域コミュニティづくり、住民参加のまちづくりの専門家であり、参加型まちづくりにおける先駆者でありました。このことについては、詳しくはこちらにまとめていますので、気になる方は、ぜひ、こちらのnoteをご覧ください。

 そんな十時さんがあすみんの指定管理事業(2009年~)中でミッションにしていたのが、「地域コミュニティとNPO(ボランティア)の協働」でした。

 いまでこそ、介護保険法における地域包括ケアシステムのための生活支援体制整備事業(2015年介護保険法改正より)や社会福祉法における重層的支援体制整備事業(2021年より法定化)の前提となる「地域共生社会の実現」においては、この「地域コミュニティとNPO(ボランティア)の協働」がまさに入っています。

 今となって思いますが、やはり、十時さんに先見の目があったのは、間違いなかったんだと思います。もちろん、2000年の介護保険法の改正時に「措置から契約へ」と移行したタイミングで、株式会社やNPOなど…福祉事業に様々な組織体が参入できるようになってきたことを考えれば、この流れは当然と考えることもできたのかもしれませんが、福祉専門職であったとしても、この発想は案外、難しいのではないかとも思うのです。

 また、同じように思った印象的な出来事がありました。

 JVCA(日本ボランティアコーディネーター協会)が主催する研修会、JVCC(日本ボランティアコーディネーター研究集会)福岡大会(2010年)のボランティアスタッフをしている際に、講師やファシリテーターとして十時の名を私が会議の中で出した瞬間に、とある委員から「あの人、違うから。ボランティアや市民活動の分野じゃないから」と一蹴されたことがありました。確かに、住民参加のまちづくりで地域コミュニティの専門家として十時さんは知れ渡っている人ではありましたが、このような形で線を引かれるのには当時の自分としては納得がいきませんでした。また、福祉の分野はおろか市民活動分野においても、コーディネーター経験が浅く、反論することができませんでした。とはいえ、今の自分があの頃に戻ったら少しは反論できたかなぁ…いや、時代が追い付いていないので、やはり難しいかな…( ´艸`)

 この出来事からわかるのは、2009年~2010年当時の九州においては、まだ、「地域福祉と市民活動は別物」という意識が根強く、地域コミュニティを「地縁」、NPO活動や市民活動を「志縁」と分けて説明することも少なくなかったのも事実で、前者は住民のためにある意味の覚悟を持って活動するが、活動エリアが限定される。一方は、自らの興味や関心、共感を持って活動を行う一方で、活動エリアは自由に選択できるため、一つの場所で活動を続けることは逆に難しい可能性が高い。ですから、「お互いに手を取り合うことは難しい」と解説することが多かったのです。

 一方で、十時さんは「別の可能性」も信じておられました。それは、「地域コミュニティに若い人たちが参画する可能性が地域とNPOの協働にはあるのではないか」ということです。

 福岡市でいうところの自治協議会や各種町内会などのいわゆる地縁組織は、全国と同様に若手の人材の確保が当時から問題になっていました。そんな中、福岡市は東京、京都についで大学生の人口比率が高い都市であり、大学生ボランティアを当時から集めては、いろいろと企画してきた稀有な人材として、私はあすみんの調査研究事業も担当し、大学生のボランティア活動の実態調査なども行っておりました。  

 なお、JVCC2010の分科会も「大学生へのボランティアコーディネーションのツボ」というテーマで企画をさせていただき、運営をさせていただきました。いやぁ、つたない企画、進行でしたが本当に皆さんに助けていただき助かりました…。

 ただ、この「地域コミュニティに若い人たちが参画する可能性が地域とNPOの協働にはあるのではないか」ということは、実は、小田部校区で実現しています。

 小田部校区では、現在、小田部校区社会福祉協議会が活動しています。(ちなみに、私は小田部校区社会福祉協議会の書記をさせていただいています)

 小田部校区社会福祉協議会の事業の福祉まつりなどは、『助っ人』という地域ボランティアのネットワークで構成されていて、この『助っ人』ボランティアの立ち上がりのきっかけとなった方は、実は「あすみんの利用者」でもあり、あすみんでの相談対応がきっかけでできた仕組みでもあるのです。

 結果として、この『助っ人』との連携は小田部校区における『地域包括ケアシステム』の一部になっており、非常に大きな役割を果たしているといえると思います。

 私にとって、この『助っ人』の皆さんとの連携は、住民の立場としては非常に感謝の気持ちでいっぱいで、小田部校区の住民の皆さま(特に高齢者)のQOLの向上に大きな役割を果たしていることは間違いありません。

 一方、『助っ人』としての立場では、『専門職のつながり』というものの可能性やあるべき姿が可視化されることで、結果としてそれが自らの学びの場になるとともに、新たなチャレンジを生み出す場にもなると実感しています。

このように、私は2009年~2012年3月までを福岡市NPOボランティア交流センターで働かせていただきながら、2010年度だけは福岡県NPO・ボランティアセンター(現:コラボステーション福岡)でも働きます。

福岡県でのNPO法人に関する専門相談員の仕事もとても学びが深かったですが、この件は特に東日本大震災が発生したことも絡むので…別の記事でまとめてかきますね。

とまぁ、いろいろと書きましたが、学生時代に感じたNPOの可能性は、社会人になり、あすみんで働く中で地域コミュニティとの連動の必要性と可能性を十時さんが示すことで、それがさらに加速したイメージです。

ただ、一方で”どうやってこれを仕事にするのか”というとても大きな課題は、自分の中で答えが出ずに悶々とする部分は引きずっていました。


<このあとも執筆中>

2024年を飛躍する年にするために、自分の人生を振り返ってみた(30代へ続く)

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