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ジュエリーはアーティストの表現手段? #1

 前回の内容で書きましたが、今のままではコンテンポラリージュエリー(以下CJ)作品はアート市場には入れない(アート作品にはならない)という結論に達しました。しかし、私はジュエリー表現作品として発表することへの可能性を信じています。今回はどのようなビジョンでアート市場に挑戦しようとしているのか共有したいと思います。


CJ作品がアート市場に参入出来そうな時代があった?


 私はアーティストが用いる表現手段として“ジュエリー”を現代アート分野内で評価してもらうことを目標に活動しています。わかりやすく説明すると、一般的なアート表現技法(絵画や彫刻)以外の、時代に合わせて多様化してきた、例えるならばビデオ・アート、パフォーマンス・アート、ボディ・アート、インスタレーション・アートのような分類です。このような表現技法/方法の一部として“ジュエリー表現もしくはジュエリー・アート”を提案できるのではないかと考えています。(もちろん学術的には批評家や学芸員が名称や分類などを定義付けしていくと思うので私には何の影響力も説得力もありませんが…。ですが投稿内容に興味を持ってくれる人が一人でも増えればいいなと思って提案していきます。)

 これらの分類の一部として認知される為に私が重要視していることは、造形やデザイン性中心ではなく“アートの文脈を学び、作り手の思考を視覚化するためにジュエリー機能や概念を作品の構成要素としてどのように利用するか”という点です。

 美術史を軸に見てみるとCJの作り手たちがアート市場と一番近かった時代は60年代以降のコンセプチュアル・アートが始まった辺りだと思います。ジュエリー作品もコンセプトを重視したものが目立ち、多くの作り手がコンセプチュアル・アートのムーブメントを意識していたと推測出来ます。そしてアート分野自体も現在ほど複雑化、多様化していなかったことにより、アートとCJとの距離は近かったのではないでしょうか。特に70年代にはユーゴスラビア出身のアーティストPeter Skubic(1935-)が中心人物となり、政治的なテーマや芸術分野への挑発などジュエリーの定義を広範囲へ拡張しようとした「反ジュエリー運動」なる活動も行われていたり、スイス出身のアーティストOtto Künzli(1948-)は写真やパフォーマンスの手法を用いてジュエリーの既成概念の解体を目指した作品を発表したりなど、様々な形でジュエリー作品が提案されていきました。

 Peter Skubic(1935-)ステンレス板を自身の腕に手術で埋め込み7年後に取り出した。そしてその板を材料としてジュエリーを制作し、手術時の様子を記録したビデオとともに一つの作品として発表。彼が滞在していた60年代のウィーンではヘルマン・ニッチ(2022年没)やギュンター・ブルスなどのアーティストが動物の臓物や血、または自傷行為などの血生臭いパフォーマンスを行なっており、このムーブメントに大きな影響を受けていた。他にも当時内戦中だった祖国を題材とした反戦をテーマにした作品など、政治的なメッセージを込めた作品も制作している。

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 Otto Künzli(1948-)パッと見は視覚的に美しいゴールド製のチェーンだが、よく見ると1つ1つが結婚指輪だとわかる。インターネットがまだ普及していなかった当時、新聞の投稿欄を利用して不要になった指輪を集め"なぜ必要なくなったのか"を取材して一冊にまとめた。このジュエリーは着用機能はあるが、個々の指輪に残る記憶や想いを想像すると首には通せないだろう。

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 ですが、残念なことにアートとCJとの間には、段々と大きな差が生じていくことになります。一番の原因はなんだと思いますか?

 私の考えでは“デザイン思考への回帰”ではないかと推測しています。

 現在の70歳以上のCJアーティストに幾度か当時の様子について質問を投げかけたことがあります。「活気があり新しいチャレンジに寛容だった時代だが、作品はなかなか売れなかった=生活ができなかった。」と回答をいただきました。上記で紹介した2つの作品はジュエリーとして着用できますが、これらの作品で自らを着飾ろうと思う人は果たしてどれくらいいるでしょうか。普通の感覚であれば躊躇する人がほとんどだと思います。なのでどちらの作品もそれぞれウィーンとミュンヘンの美術館にコレクションされています。

 1976年にはCJ市場を牽引し続けたオランダ・アムステルダムのGalerie Ra(2019年に残念ながら閉廊)などが世界に向けて本格的にCJ作品を発信し始めました。それまでには無かった新しい分野として前衛的で実験的なジュエリー作品を紹介し、多くの地域でCJ市場を拡大させていきました。アーティスト、ギャラリスト、コレクターが若くエネルギッシュな時代です。しかし、CJ専門のギャラリーやコレクターが増るとともに、それまで挑戦的だったジュエリー作品が少しずつ着用性やデザイン性の強い作品へと戻っていくことになります。これは良くも悪くもジュエリーとしての機能や概念に再注目、もしくはアート作品との差別化を目指した結果として意図的に変化したのかもしれません。しかし、先人達の話から考察すると、最大の要因は「アーティストとギャラリストの生活のために売りやすい作品(着用性重視)へと変わっていったから。」と私は考えています。

 ある大先輩アーティストの方から「時代が進むにつれコンセプチュアルな作品は段々とCJギャラリーでは展示させてもらえなくなった、コンセプチュアルな作品の時代は終わった。」と聞かされました。この時はショックでしたし、CJ分野の限界を突きつけられた気分でした。産業革命後の大量生産時代以降ジュエリーの一般化/社会全体への浸透を経て、第二次世界大戦前後から既存のジュエリーから逸脱しようと多くのアーティストが挑戦的な作品を発表し続けてきました。しかし、作品の販売となると話は別です。活動を続けるためには資金が絶対に重要であり、売れなくても良いという発言は綺麗事だと思います。ですが購入者の意見や目線を意識しすぎるとアヴァンギャルドな方向からは一転し、つまり、衰退の道へ進むことは目に見えているのではないでしょうか。その結果が現在のCJ市場であり、世界的に見てもマスに向けた商品展開(価格/造形/コンセプトのデザイン思考)を意識、または方向転換しているギャラリーが増えてきていると感じています。他にも一つの可能性としてファッション市場やジュエリー市場へ割り切って進む選択肢もあるはずですが、CJ市場への期待が強すぎるのではないかとも正直思ってしまいます。

 一方で、何もないところから現在まで続くCJの市場を確立したことは先人たちの功績であり、私たちはその恩恵で活動出来ていることも事実です。しかし、現実に目を向けてみると、時代を牽引してきたアーティストやギャラリスト、コレクターは高齢化し、軒並み引退が目立っています。現在の市場に依存していては今後の活動は難しくなることは分かりきっているはずです。この事実をしっかりと受け止め、さらにコロナパンデミック以降の世界が目まぐるしく変化している現代の作り手が選択しなければならないことは、①このままCJ市場内で活動を継続する(守っていく)か、②ファッションやジュエリー市場を開拓するか、③アート市場を目指すアーティストとして意図的に方向転換するか、④はたまた別の市場を見つけだすか、のいずれかだと思います。どこの/誰に/どうやって自分の作品を見てもらうかが重要であり、作品を制作していれば問題の無かった時代はとうの昔に過ぎ去っています。

次回へ続く。

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