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英語早期教育の是非を考える

私は4児の父として、20年にわたり公立の児童英語教育を観察した結果、昨今のなかなか厳しい公立英語教育に限界を感じ、自ら幼児向け英語教材を開発し始めました。
その一方で、英語の早期教育についての強い反対意見があるようで、非常に興味深かったので記事を書いてみました。


セミリンガルになってしまうという懸念

「セミリンガル」つまり日本語も英語も、どっちつかずで両方不十分になってしまう、ということが一番大きな懸念のようです。
著名な方々もこの点を主軸に意見を展開されてることが多いようですが、いくつかの疑問が出てきます。

・幼児期は英語力より思考力を伸ばすべき

おっしゃる通りです。この点について何も異論はありません。

ただ、英語を幼児期に教えると思考力とやらが低下するのは本当でしょうか?
思考力が落ちているとされるセミリンガルの子どもは、逆に日本語だけで教育していたら深い抽象的思考ができたと言えるんでしょうか?

バイリンガル前提の国の子どもたちは明らかに思考力が低いのでしょうか?
アジアにおいても、香港やフィリピン、インドなどのように、ガッツリ母国語と英語が混在している、幼児期でも生活の中に第2言語として英語が存在する国々の人々の思考力が低下してるとは思えません。

日本語が英語と非常になじみにくい(言語としてかけ離れすぎている)から早期教育しない方が良い、という議論もありますが、であれば、早期英語教育を実施しているような団体の英語教育が失敗して、集団的なセミリンガル問題が発生すると思うのですが、そのような話は聞いたことがありません。

人によって能力がさまざまであるならば、日本語と英語の早期習得について、うまく2言語とも習得できる子どももいれば、そうでない子どもがいるのも当然ではないでしょうか?
そしてこれは早期英語教育をしなかった子どもであっても、できる子とできない子がいる、と同じことが言えると思います。

・コミュニケーション力が落ちる?

「日本語で論理的思考ができない人間が、どうして英語で論理的思考ができるんだ」
これまたおっしゃる通りの意見だと思います。
ですが、これも同じで、早期英語教育がなければ論理的思考ができる人間になるのでしょうか?

これと同様に「日本語でコミュニケーションできない人間が、どうして英語でコミュニケーションできるんだ」という議論があります。

しかしこれも前述した理屈と同じで、「じゃあ早期英語教育をしなかった子供はコミュニケーションできているのか」という疑問を持たずにはいられません。
近年では「コミュ障」という言葉も普通に使われるように、日本人は対日本人でさえまともにコミュニケーションできない人たちが多くいるではないですか。
彼らは幼少期から英語教育を受けて育った人ばかりではないはずです。

にもかかわらず、幼児英語教育など無縁だった多くの子どもたちでさえ、このようにろくに挨拶もできないコミュニケーション障害に陥っているのはなぜなんでしょうか?

英語の早期教育が論理的思考の育成を阻害するのであれば、これまた集団的に論理的思考力が落ちている事例があるはずです。
「〇〇の幼児英語教育受けた人は頭が悪い」「〇〇の幼児英語教材やると知能が下がる」なんて話を聞いたことはありません。

バイリンガルには育たない

もう一つの英語早期教育に関するネガティブ意見の代表がこれです。

・塾に行かせても英語ができるようにはならない

これもまたその通りかもしれません。
日本語でも英語でも自在に言語を操り、どちらもネイティブレベルで思考も会話も行える。
それを習得させるのは確かに相当な努力が必要かもしれませんね。

しかしこの「相当な努力」を大きく勘違いしている方が非常に多いです。

例えば、
「小学校6年間子どもを英語塾に通わせていたのに、中学で英語が全然できるようになってない」
「高額な教材を買ったのに、一向に英語ができるようにならない」
などなど

まず英語塾ですが、週1回に1時間行かせてたとしても、年50時間、6年で300時間程度です。
一方、海外で毎日12時間英語漬けの生活をしていたとすると、300時間は25日分の期間となります。

どうでしょう?
25日間海外に在住したとして、どれだけの英語ができるようになると思いますか?
これが倍の50日になったとしても劇的に英語ができるようになりますかね?

その程度では習得できないのが当たり前なんですね。
毎日のように30分、1時間2時間と、英語に触れる時間が積み上がっていかないことには習得は難しいのです。

教材に関しても同じことが言えるでしょう。
買ったはいいけど、付属のおもちゃで一通り遊んだら飽きちゃうなんてことはありませんか?

そういう方々はどうしても学習の総量が足りていないのです。
一般的な大人の英語力ではない幼児レベルの英語力であったとしても、習得には一定以上の英語に触れる時間が必要なのです。
たまに思い出したように英語を学ぶくらいでは、どうしても総量が不足してしまうのです。

ただ逆に、幼児期の英語さえ習得してしまえば、あとの英語力に関しては、映像コンテンツや学校での学習などで追加していけばいいのです。
さらにこの場合、英語の土台が出来上がっているので、「勉強」として学習しなければならない子どもと比較して、その後の習得も非常に楽になります。

・間違ったバイリンガルの目指し方

バイリンガルを目指している親御さんのありがちな失敗はまさにここで、我々が日本語でさえいきなりできるようになったわけではないのに、早期英語学習で詰め込んだら一気にできるようになるのではないかという幻想があるのです。

バイリンガルになるかどうかは置いておいて、まずは幼児レベルの英語を自然に使えるようにしてあげて、あとは年齢と合わせた言語能力を習得できれば全く問題はないのです。

よく幼稚園児が英検〇級を取るとかありますが、ああいうのは無理して取る必要は全くありません。なぜなら、英検5級でも語彙や概念が結構難しいので、ましてや3級4級に使用される語彙は、一般的に未就学児が使うようなものではなく、そもそも英語以上に国語の知識や常識的な概念の理解が必要だからです。

例えば時間や曜日の概念なんて当たり前に出てきますが、日本語でも幼児には難しいし、「地球温暖化」がテーマの英文読解なんて論外ですよね。英語ネイティブの子どもにだってわからないと思います。

その点を踏まえて毎日英語に親しませていくと、徐々にではありますが確実に習得していきますし、また日々の日本語にも影響のない生活が送れるはずです。

まとめ

正直言って、早期英語教育が必須か、と言われれば必須じゃないでしょう。
日本語だけでも幸せに生きていくことは可能ですし、大人になってからでも英語を学ぶことは十分可能です。

ただ、リスクがあるのかないのかは、実際に同じ子どもを別の環境で育てて検証してみないことにはわかりません。
もし英語の早期教育にリスクがあるとするならば、英語の早期教育をしなかったリスクも存在する思います。
現にこの今の日本社会に100%依存していく生き方を是としない人たちは多く存在しています。

そして、子どもたちは自分自身で自分の教育を決められない以上、親が決めるしかありません。
英語の習得がもし容易にできるのであれば、それを我が子に授けたいと考えるのは親として当然のことだと思います。

身近なところでは将来の受験で、あるいは留学で、あるいは就職で、そのほか旅行でも、海外の友人を作ることでも、あらゆる場面で子どもの助けになると思うから身につけさせたいと思っているだけです。

そういった子供の将来、「選択肢」を増やすために最も有効だと信じているからこそ、英語を教えたいとなってるわけで、何も完璧なネイティブレベルの英語をマスターしてほしいわけではないでしょう。

「英語力が必要となる世界でも楽に生きていけるような素地を、子どもたちに身につけさせたい」
そう考えている親たちの願いをできるだけ取りこぼさず、実現していきたいなぁと考える今日この頃です。


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