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福祉が理解できない

別に自分は何者にもなれないことはわかっている。

誰かを救えるとも思っていない。

目の前の子ども達を救う?

何様か。


労働環境すらきちんと守れないところに、要支援者を入れることが良いことだとは微塵も思えない。

神経発達症も車椅子も、権利はある。守られるべきだ。

でも、受け皿が受け皿として機能できないのに、ただ"そこにいさせてほしい"だけを叶えても、結局は何も、誰も救えないじゃないか。

支援者の労働者としての権利とか、対価とかに目をつむり、結局何かの犠牲の上に福祉を成り立たせたら、どんなに良き支援者も、数年後には離職してしまう。どんなに守られるべき要支援者も、数年後には結局そこに居続けられない。

公立の学童保育において、労働者の労働環境や待遇を改善できるのは自治体でしかない。

個人の努力だけで、何とない優しさだけで、ありとあらゆる子ども達を受け入れることは、結局は"たまたまその数年間、良い支援員がいましたとさ"で終わってしまう。

全く育成支援の持続性がない。

障がいのある子どもを受け入れてなんぼとは思えない。

不登校を受け入れてなんぼとも思えない。

"数年間ここにいるだけ"を作り出してしまったら、その方が無責任に感じてしまう。

全てを受け入れることが善だと思えない。

きっと自分は福祉をわかっていない。向いていない。

結局自分は誰も救えやしない。

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