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〈119〉親にとっての小1の壁と子どもにとっての小1の壁は違う

日々預けられる子ども達の立場から世の中を見る放課後児童支援員。

今年も当たり前に小1の壁という言葉が目につきます。

壁を壊す気など、国にも自治体にも、企業にも保護者にも、そして支援する側にもさほど無いのではないですかね。

「朝7時から校門を開けよう」
「夜7時以降でも、日曜日も、祝日も、朝から晩まで学童で預かってほしい」
「じゃないと仕事ができない、食っていけない」
「本当は子どもともっと一緒にいたい」

本当に詰んでますよね。保護者が労働者としてしか見られていないんですよ。

そのため、保護者の視点が親としてより労働者として家族とどう生きていくかの視点になるのは当然のことです。

つまり、親にとっての小1の壁は、労働者としての壁です。

しかし、仕方がないで済ませると、家族という概念が崩れるのではないかと、既に崩れつつあると感じています。


実際に預けられる子ども達自身も、小学生になることで壁に直面しています。

小学校生活にも適応しなきゃいけない、学童生活にも適応しなきゃいけない。

母子分離不安、登校や登所の行き渋り・帰り渋り、生活習慣、躾・社会性の身に付きにくさ、学習意欲、自尊心、対人関係、発達特性、発達障がい

これら全てが行き着く先は、メンタルヘルスの問題です。

つまり、子どもにとっての小1の壁は、メンタルヘルスの壁です。

労働者としてのどうにもならない壁を、子どもへの愛で優しく言い聞かせ、子どもが「わかってるよ。お母さん、お父さん頑張ってね。」と言ったからといって、子どもの心の健康が数年、十数年後も健やかであるかはわかりません。

うつ、睡眠障害、人格形成、家庭内不和、問題行動へと繋がっていかないことを祈っています。


…どうにかならないんですかね。

保護者と社会の間にも、保護者と子どもの間にも、税金も、差別も、壁ばっかり作って。

日本人は壁作りが趣味なんですか?

「壁」と言うことで、意識付けも強固になって、本当に本質的な議論ができる者以外には崩せないものになってしまった。

親にとっての壁だろうが、子どもにとっての壁だろうが、小1の壁の犠牲者は子ども達です。

誰なら、子ども達の「お家にいたい」「お父さん、お母さんと一緒にいたい」を叶えてくれるんですか。

こんな世の中で、心身が満たされない子ども達が大人になった時に、「自分も家族を作りたいな」とはなりませんよ。

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