岡田将生研究⑰CUBEで見せた極上の狂気

 2021年映画「CUBE 一度入ったら、最後」。豪華キャストで話題を呼んだこの作品、公開されるや否や「狂った岡田将生最高!」と岡田の狂人演技に注目が集まった。岡田の狂気の演技の出発点といえば2009年公開の映画「重力ピエロ」。一見普通の青年に見える春(岡田)が抱える孤独の闇は深く、殺意を持って炎の中にたたずむ姿は、恐ろしく美しかった。それから12年、「CUBE」で岡田が見せた圧倒的な狂気、観るものを恐怖に陥れる「底知れない得体の知れなさ」の正体とは?

 CUBEで岡田が演じた越智は、コンビニで働くごく普通のフリーターの青年だ。ある日気が付いたら、所々トラップが仕掛けられた立方体の部屋が延々と続いている空間に、意味もなく閉じ込められていた。共に脱出を目指すのは、トラウマを抱えているが常識的な主人公の後藤(菅田将暉)、行動的でリーダーシップのある井手(斎藤工)、大人が嫌いで無口な子供千陽(田代輝)、常に理性的で紅一点の甲斐(杏)、高圧的で嫌な人間の典型の安藤(吉田鋼太郎)。その中で越智は、唯一の感情型キャラクターで、CUBEのトラップや出られない恐怖におびえ、視聴者の持つであろう疑問を口に出すことで、ナビゲーターのような役割も果たし、何を言われても辛抱し、時には主人公にフォローを入れたり6人の調整的な役割も担うので、序盤は比較的感情移入しやすい人物として描かれている。

 しかし越智は、現実社会に不満を抱えており、一見従順だが親指をこすったり噛んだりと、薄っぺらい笑顔の裏で、終始神経質で不安定な様子を見せる。皆で助け合って、トラップを避けながら出口に向かって行くように見えていた物語は、井手の死によって急展開する。一行はリーダーを失い、生々しい死の恐怖にさらされる。主人公後藤が、何とか出口を見つけようと模索する中、越智が部屋の片隅に座り込み「もう限界かな、出られるかも、とか、死ぬかも、とか、もう考えたくない」と弱々しく呟く姿が不穏に映る。「生きる」ことに執着のない人間ほど怖いものはない。と私たちは本能的に知っているから、無性に不安を搔き立てられる。

 人は、理解しがたい異質なものに触れた時、この上なく恐怖を感じる。死にたくない生きたいと願って当たり前、協力し合って当たり前、出口を必死に探して当たり前と信じて疑わない人々の中に、それを当たり前と思わない人物が紛れ込んでいる恐怖。安藤の後ろで微笑む越智は、まさにそんな異質な人物そのもので、笑顔一つで視聴者を震撼させた。越智は、滅多に声を荒げないし、大して恐ろしい台詞を吐くわけではないのに、存在そのものが人々を恐怖に陥れる。

 高圧的な安藤を殺したいという動機はまだわかる。本当に恐ろしいのは、その後だ。殺人を犯し、服や顔に血しぶきが飛んでいるのに、無邪気な笑顔で仲間との再会を喜ぶ姿に背筋が凍る。そして「あー殺したかも」「なんで殺したんだっけ?」と視点の定まらない表情でしゃべり続ける。不自然にころころ変わる表情、静かな口調で話したかと思えば急に語気を強めたり、もはやコントロールのきかない狂った人間そのもので、越智が内側から完全に壊れてしまっていることに気づかされる極上の演技。殺そうとするから怖いのではなく、ごく普通の人間が極限の状況下にさらされて、死ぬ事も殺す事もなんとも思わなくなった狂人に変わってしまった事が恐ろしいのだ。CUBEの岡田の究極の狂気の表現は、そこにある。

 映画「ドライブ・マイ・カー」で演じた高槻も、コントロールが効かない暴力性の奥に潜む狂気が話題になった。「告白」(2010年)で見せた無邪気な押し付けがましい善意、「星の子」(2020年)の差別を包み隠さずぶちまける正直な悪意、岡田の演じる常軌を逸した役はいつでもリアルで魅力的だ。CUBEで演じた越智は、その頂点に君臨すると言っても過言ではない。岡田の研ぎ澄まされた狂った演技を堪能するだけでも、この映画を観る価値があると断言できる。

 

 

 

 

  

 

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