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介護職として“人生に触れる”


今回は“介護職として人生に触れる”というテーマでお伝えしていきたいと思います。

なぜこのテーマにさせていただいたかというと、

人生に触れるとはどういうことかを考え、感じることは、それ自体が介護職としてのやりがいを感じられる一つであり、また、ひとりの人間としても貴重な財産となるからです。

前提に"介護職として"と表現させていただいたのは、介護職の専門性を持って人様の人生に触れることと、持たずして触れることはプロセスに大きな違いがあるからです。

プロセスが異なるが故に、触れ方と触れた後に感じられることに違いが生じ、得られるものも別のものに変わります。

果たしてそれは何か。
人生をより深く知ることができるということです。
人生に触れ、深く知ることは私たちがより良く生きる上でのスパイスになります。

これらのことについて、皆さんにお伝えしていきたいと思います。

はじめに


この記事を通して、人生に触れるということ、それが人生のスパイスになると表現したことがどのような内容からなのか、私たちにどのようなものをもたらすのかということを介護職の方は勿論、介護職であるか否かに関わらず一人でも多くの方と、一緒に考えていけたらと思います。

私は介護という仕事が素晴らしいものだと考えております。

介護という仕事に挑戦する中で、私自身が、人生を豊かにしてくれる様々なエッセンスをいただいてきました。

どのような形でも”実際を知る”ことは、見方が変わる、そして思考を深めるきっかけになると思います。介護には人のリアルで溢れる奥深いものです。

前回の記事でもご紹介させていただきました、私の投稿の理念、目的は「共育」です⇒共に学びを深め、育むという造語

皆様に正解をお伝えできるような技量はありませんが、記事を通して、ご覧いただいた皆様の何かになれたら幸いです。
お時間のある方、ご興味を持っていただけた方、是非最後までお付き合いいただけたらと思います。

介護職は"人様の人生に触れる仕事"

介護職はご利用者、ご家族の人生に触れさせていただくお仕事です。
一見ありふれた表現に思えるかもしれません。

介護を仕事にされていない方の中でも“人生に触れる”このような表現を耳にしたことがある方は多いのではないでしょうか。

しかし“人生に触れる”ということはどのような内容を指すのか、説明できる方は多くないのではないでしょうか。
100人いれば、100通りの人生が存在します。

そのどれもが掛け替えのない尊い人生です。ここに例外はありません。

尊い人生だからこそ、触れさせていただく際には慎重に丁寧に準備をする必要があると私は考えています。


話しを進めていく前に、自分自身を振り返るための質問をさせていただきます。

自分自身を振り返ってみてください


質問1、あなたはご家族やご自身の人生について触れたことはありますか?

この質問に対しての答えは大半の方がYESとお答えになるのではないでしょうか。
そもそも、自分の人生や家族の人生をないなんてそんなことはないだろう、当然じゃないか。だいたい、触れるって表現は間違っているだろう!
そんなお叱りを受けてしまいそうで恐縮ですが、もう少しお付き合いください。続いての質問です

質問2、あなたはご家族や自分以外の人生に触れたことはありますか?

自分自身の人生を振り返って見たとき、あなたが家族以外、自分以外の方の人生に触れたことはあるでしょうか。
YESとなる方もいらっしゃると思いますし、改めて振り返るとあまりなかったなと感じる方もいらっしゃると思います。

では最後の質問です。

質問3、あなたは「人生に触れる」という言葉についてご自身の考えを説明できますか?

この質問に対しては、多くの方が返答に困るのではないでしょうか。
そもそも質問自体が非常に抽象的でイメージし難い方もいらっしゃると思います。

振り返ってみていかがだったでしょうか

改めて3つの質問を振り返ると、人生に触れるという言葉に対して、自分自身が曖昧な理解のまま解釈していることに気がつくのではないでしょうか。
そしてこの3つの質問を上から順にではなく、下から順に答えていき、質問3での答えがNOであれば、質問1,2の答えがYESである説明が出来ない、もしくは説明に矛盾が生じることに気がつくと思います。そして

ここまで書いておいて、非常に無責任なのですが、実は正しい答えについて「私自身」もわかっておりません。

そしてこのことについて、この先も「私自身」は明確な答えは出せないのではないかと考えております。しかし、一つ断言できることがあります。それは、この人生に触れるという言葉の意味をこの先も追い続けていくことには価値があり、このこと自体が「私自身」の人生を豊かにしているということです。

“触れる”ということの前提とは?

そもそも、辞書で「触れる」という言葉の意味を調べてみると、複数の内容が記載されています。
しかし共通であることは“触れる”ということは、実態・実体があるということが前提なのではないでしょうか。であるなら“人生に触れる”とは、人生という実態・実体に触れる、すなわち人生というものを捉える必要がある。

結果として、人生に触れるということは、人生という言葉に対する自らの実態・実体を捉えなければならない、ということなのではないでしょうか。

“介護職として”人生に触れる

お気づきの方もいらっしゃったかもしれません。

私は前項で「私自身」という言葉を使用し、人生へ触れることがどういったものか、答えがわからないとお伝えしました。

しかし“介護職として”という言葉を一つ足すと、私は先ほどの“人生に触れるとはどういうことか”について、介護職が実践している思考や、どのように人生に触れさせていただいたのかという経験をお伝えすることが出来ます。

生活を支える私たちだからこそ

繰り返しになりますが、介護職として様々な方の人生やその中での思いに触れさせていただくことは、非常に貴重なことです。

勿論、他の業種の方々も様々な方の人生や思いに触れる機会があるかと思いますが、介護職としての関りには一味違った側面があります。それは、生活支援だからこそのものです。

介護職が実践していること

私たち介護職は、その方ライフヒストリー(過去)やこの場所で私たちとお会いした理由(過去と現在のつなぎ目)という今までを知り、家族との関係も含め、その方が今何を大事に(現在の生活)され、普段何を喜び楽しみにされ、何に苦しみ悲しみ不安や痛みを抱え、今何を求め、この先(未来)に何を望むのか。 これらを知り、今ある資源を駆使し、その方に何ができるのか(現在)、その方とどのような時間を過ごし、また、ご家族を含めたその方への支援とはどのようなものがその方の人生にとって良いのか(現在と未来を繋ぐ)ご利用者、ご家族を含めたチームと一緒に思考していくのです。

しかし、時間は勿論、環境や各資源は有限であり、無い物ねだりはできません。私たちもある種、資源の一つであり、限りがあります。時には妥協、そして追求を繰り返し、人生のバランスという「現実」についても日々話し合い、考えていきます。

その結果、作り上げた目標に向かって、ご利用者、ご家族を含むチームで行動していきます。

その目標の本質、それは“その方にとってよりよい今を生きる事”です。

ここに忘れてはならないことがあります。それは、チームには役割や規律(ルール)があると同時に、限りが存在するため、なんでもありではないということです。その限りある中で決めた、ご利用者の目標、ご家族と私たちにとっても同じ目標となり、全員がチームになります。

この目標のもと、チームによる奮闘を重ね、笑顔、喜び、悲しみ、苦しみ、切なさ、それらの『生きる・活きる』ということを共感します。今という人生が目の前にある状態です。そしてこのプロセスは人の輝きや、時にはその反面も映し出しながら掛け替えのない時間として進んでいきます。このプロセスを絶えず共に繰り返します。

有限であること

しかし、このチームでの掛け替えのない時間にも必ず終わりが来ます。神様のもとでは待ったは通じません。
事業形態により一概には言えませんが、
私たちが支援をさせていただく方々は、大半がサービスや支援の提供が終了する、すなわちチームとして活動する時間の終了とともに永遠を手にされます。 それは、その方が人間という生物としての成長(変化)の最終段階を迎えた瞬間です。

その後、私たち残されたチームは“私たちの目標”について振り返ります。

一生に一度であり、同じ目標を持ったチームは二度と存在しません。

そのことが改めてわかったその時、人生を終えられたという事実をもって、私達ははっきりと、そこに素晴らしい人生があったこと【実態・実体】について、理解します。 私たちはその方の人生に触れ、人生の一部を共にしたのです。

その方の人生から私たち介護職がいただいたもの


ここまでお伝えした中で、私たち介護職が普段経験している人生に触れるということ、そして人生について思考の機会をいただいていることをご紹介致しました。人様の尊い人生に触れさせていただけたこと、私はそれを掛け替えのない財産だと感じています。

人生のスパイスの正体

そしてこの財産は唯一無二であり、誰にも奪うことのできない貴重な財産なのです。

前述したチームの目標がまたとして同じ目標ではないことのように、この財産は同じものが手に入らないことに加え、自分自身の中に存在し続け、自分自身に加えられたこの先に繋がる財産となります。 私達は介護を実践する中で、自分自身の人生に繋がる未来の糧(人生のスパイス)をいただいていると私は考えています。

終わりに


前回の投稿でも記事にさせていただきましたが、介護職にはたくさんのチャンスと可能性があると断言致しました。
しかし『要は自分次第』この言葉に変わりはありません。実際をお伝えすることに意味があるにも関わらず、綺麗な聞こえが良いことだけをお伝えするつもりではございません。介護の仕事はたくさんの魅力や楽しみがあるのも事実ですが、財産を得るためには苦労が必要なように、同じく介護の仕事にも努力、苦労を踏み越えていかなければ、やりがいや楽しみという自らの財産にたどり着くことはできないのではないでしょうか。

そもそも、【人】を支援させていただく仕事が、【人様】の【人生を支える仕事】が、楽で簡単なわけがないと私は思います。これは介護を仕事とする方々の中にも時折見られる錯覚のようなものだと私は考えています。この錯覚が生じる背景には、介護の専門性とは何か、このことを介護職自身が自らに問うことが出来ていないのも一つの要因なのではないかと私は感じています。この錯覚を解消する方法の一つに、介護に向き合う、介護を思考することが必要だと私は思います。介護は奥深い、誇りある仕事だと私は信じています。

また、これは他のお仕事をされている方も同様だと思うのですが、その仕事の何をどのように考え、感じ、そのことに対してどのように価値づけ、意味付けをするのか。それを自分の未来、そして人生にどのように活かしていくか。結局のところ、人は人からしか学べず、人が人に対して、目の前のことを教えとして受け取る。人生の豊かさにはたくさんの種類がありますが、それも結局のところ自分次第だと思います。 人生をより良いものに変えるには、より良いとは何か、より良くなるためには何を自分に課すのか、日々思考を重ね、実践し、それを感じる事、このことが重要な気がします。今後も継続して皆様と共に学び育むことが出来ればと思います。

“人生は一冊の書物に似ている。愚か者はパラパラとそれを捲っていくが、賢い者は丹念にそれを読む。何故なら彼は、ただ一度しかそれを読めないことを知っているからだ”
            小説家 ジャン・パウル

長い時間お付き合いいただき、最後まで読んでいただきありがとうございました

今回、タイトル画面に使用させていただきました画像は三日月学童クラブの児童様が集められた【宝物】の画像です。
私も日々の経験からご利用者、ご家族にいただきました私の【宝物】を今回文章にしましたので、共感させていただき、タイトル画面に掲載させていただきました。思わず笑顔になるとても温かい素敵な画像でした。素敵な画像をありがとうございます。

ご挨拶

皆様にご挨拶
(PV、スキ、フォローいただきありがとうございます)

前回の記事をご覧いただいた皆様、そしてスキボタンを押してくださった方々、フォローしてくださった方々、皆様のお力添えをいただき第2回目の挑戦に踏み切ることができました。実のところをお伝えすると、私はつい最近までSNSの一切を使用したことがありませんでした。
そんな私が今回noteにチャレンジした理由は、人生を深く味わいたいという思いからでした。
人生を深く味わいたい、そのためには自分に何が必要かを考えた時、その答えはたくさんの【人】の価値観や思いに触れることではないかという思いに至りました。記事を投稿するまでにたくさんの悩みや不安を持っていましたが、投稿の後にこのような反応をいただき、本当に言葉にならない気持ちになりました。
明日への糧をいただき、心からお礼を申し上げます。
これからも精進し、お時間をいただいた皆様にとって有益なものになるよう努めて参りますので、今後ともよろしくお願いいたします。


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