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また12月24日が来た。故・志村正彦を偲ぶ。フジファブリックと出会ってからの3年。


今日のBGMはフジファブリックのフジファブリック。

今年も12月24日が来てしまった。
志村正彦に出会って3回目の12月24日である。
志村正彦の命日を知ってから、私にとって12月24日はクリスマスイブではなく、志村正彦を偲ぶ日になった。

私は、フジファブリックをリアタイで聞かなかった。今みたいにサブスクで、気になった音楽をすぐチェックできるという環境ではなかった。気になってもアルバム一枚に3000円払う価値があるかどうか、脳内選抜に勝ち抜かなければ、私の手に取られる事はない。ロッキンオンも、もちろん検討の材料だった。フジファブリックの名前は、ロッキンオンで見かけていた。でも、ロッキンオンに載ってるからと全部の音源をチェックできるわけではない。記事を読んで、3000円払おう!と決意できたものだけ手に入れることになる。フジファブリックを脳内旋盤で選出しなかった理由は幾つかある。まず私は、スリーピースバンドが正義だと思っていた。多くて4人まで、という感覚があった。だから、フジファブリックの5人という数字は多い。ニミマムのメンバーでする表現こそロックンロール!と何故か信仰していた。次にギターロックを信仰していたので、鍵盤が受け入れられなかった。鍵盤がメンバーに居るバンドで好きなバンドは思い浮かばない。サポートとかなら分かるんだけど、なんとなく鍵盤が苦手だった。キーボードという存在も好きじゃなかった。今考えると、エレキだって同じじゃないかと思うんだけど、当時の私は電子音が苦手だと思っていて、キーボードやシンセの音は電子音!苦手!と思っていたのである。時期的なものも影響した。フジファブリックメジャーデビューが、2004年。私は22歳だった。短大を既に卒業し、働いていた。新しい音楽に鈍感になり始めていた頃である。あと二年早くメジャーデビューしてくれていたら、リアタイで聞いていてかも知れないなと思うと、結構悲しい。学生ではなくなっていたので、友人との音源の貸し借りというチャンスもなくなっていた。当時の家がネットに繋がっていなかったので、ネットで知り合い、情報交換をしていた音楽友達とも疎遠になっていた。私はフェスに行かないので、偶然観て好きになったというバンドもあんまりいないのだ。

3年前の夏。私は好きな人ができた。音楽の趣味がとてつもなく合う人だった。その人がフジファブリックを好きだと言っていた。私はその人との会話についていけるように、不純な動機でフジファブリックを聴き始めた。その人とは結局うまくいかなかった。でもフジファブリックの美しさに夢中になり、それから3年フジファブリックを聞いている。
私は音楽をザクザク聴いていくというタイプでなく、気に入ったアルバムを1年くらい聴き続けてやっと先に進むという感じで聴いている。馬鹿なので、消化するのに時間がかかるのだ。フジファブリックに出会って3年。アラカルト、アラモード、アラモルト→フジファブリック、がやっと自分の中に定着したところだ。
ギターを始めて1年程なのだが、ダイヤグラムを見ながらジャカジャカコードを弾いて、鼻歌を歌っている。フジファブリックのコードはとても美しい音がして、その流れは必然というかとてもいいのだ。コードを弾いても、頭の中のメロディと一致しないアーティストもいる。志村正彦の描く曲は、そういうことになったことはなくて、コードを順番に押さえるだけで、頭の中でリードギターと、鍵盤と、ベースと、ドラムと、ヴォーカルが、しっかり鳴って聞こえるのだ。無論、歌詞もものすごくいい。好きだ。
アラモード、アラカルト、アラモード、フジファブリックの4枚の中でどの曲が好きですか?
どの曲も甲乙つけ難いのですが、挙げるとしたら「花」「茜色の夕日」「笑ってサヨナラ」「サボテンレコード」「夜汽車」あたりが好きです。
いや、金木犀も桜の季節も陽炎も銀河も花屋も線香花火も打ち上げ花火も…キリがないな。とにかく、リアルタイムで聞かなかったことを後悔してる。志村正彦を一度でいいから生で見たかった。


「薄くなる君の面影は
違うものに押しつぶされそおになる」

「人のせいにしがちな僕から
あなたは消えてゆく」

「笑ってサヨナラしてから
間違い探しをしていた
どおしてなんだろう
どおしてなんだろう」

「どうにもならないことが多すぎる
どうでもいいことならいいのに…」

ーーー笑ってサヨナラ

どこをとってもいいから、抜粋にならない…
ワンフレーズ思い出すと、次から次へと音楽が頭の中に流れて、どんどん違う場所に運ばれる。いい曲の共通点と言えるだろう。そう、どうにもならないことが多すぎる…のだ。どうでもいいことだったらこんなに苦しまなくていいのに…。

「どうしたものか
部屋の窓ごしに
つぼみ開こうか迷う花見ている」

「鞄の中は無限に拡がって
どこにでもゆける
そんな気がしていた」

「花のように儚くて
色褪せてゆく
君を初めて見た日のことも」

「月と入れ替わり
沈みゆく夕日の
遠吠えの犬の
その意味はなかった」

「花のように儚くて
色褪せてゆく
君の笑顔を見た日のことも」

ーーー花

もはや全文である。件のフジファブリックを私に教えて消えた男と、一度しか会った事がない。だから、君を初めて見た日のことも、君の笑顔を見た日のことも、覚えているのだけど、花のように儚くて色褪せていくのだ。
鞄の中は無限に広がって…の部分D G D Gの繰り返しなのだが、
2番の、月と入れ替わり沈みゆく夕日に…が、D Gm7 D Gm7に僅かに変わるのだが、この流れがとてつもなく切ない。D Gでやっても違和感ないのだが、Gm7にすると、ちょっとくしゃっとなってとてつもなく切ない。
ギターをお持ちの方はギターを、お持ちでない方は原曲を、是非今一度聴いてみてもらいたい。一つのコードの差なのだけど、1番の2番で微妙に違ってそれがめちゃくちゃ効いていることに気がついて頂けるだろう。
それにしてもD G D Gの繰り返しなんて、どこにでも出てくる単純なものなのに、頭の中で花を鳴らすと他のメロディにはならなくて、花の為にあるコードのように思えてくるから、名曲はすごい。

「長いトンネルを抜ける
見知らぬ街をすすむ
夜は更けてく
灯りは徐々にすくなくなる」

「話疲れたあなたは眠りの森へゆく」

「窓辺に頬杖をついて
寝息を立てる
あなたの髪が風に揺れる
髪が風に揺れる」

「夜汽車が峠を越えるころ
そっと静か本当の事をいおう」

ーーー夜汽車

志村正彦の描く曲のほとんどが失恋ソングである中でヒカル一曲だとおもう。切ないのには変わりはないのだが、終わってしまった思いではない。現在進行形だ。話疲れたあなたは、と、窓辺に頬杖をついて、の2回だけ、Fdim(エフディミニッシュ)が出てくるのだが、この響きがとてつもなく切ない。愛おしい。狂おしい。花でもB♭dimが出てくるのだが、ディミニッシュ使いがとにかく切ない、儚い、愛おしい。コードを押さえながら、鍵盤のメロディを頭の中で鳴らすのも至極気持ちがいい。天才だなぁと思う。本当の事が、甘い甘い内容であるように、それだけを祈ってしまう。

もし、楽器をされないファンの方がいらっしゃって、ふーんと少しでも思ってもらえたなら、今からでも一緒にギターを始めましょう。コードを押さえながら頭の中で他の楽器を鳴らし、鼻歌を歌うと、曲を分解するというか、歌詞と音源だけ観ていたのでは見えてこないメッセージが見えるかも知れません。私はど初心者、ど下手くそですが、それでも、志村正彦の描く美しい音楽にメロメロになってます。カラオケなんかよりずっと楽しいですよ。

12月に入って特にフジファブリックを聴いて、ギターで遊んでいるのですが、こんな風になってるのかーと痺れっぱなし。志村正彦は複雑なコードをほとんど使わないので、私なんかでも遊べるのでありがたいです。本当に美しい。
志村正彦に出会い、12月24日は、私の中でクリスマスイブでなく、志村正彦を偲ぶ日になりました。ただひたすらに音源をかけて、それに合わせてギターを弾いて、歌を歌う。そういう日になりました。
亡くなってからこんなに好きになるなんてって思っておちたけど、そんな時、お坊さんに、命日はあの世での誕生日だから、と話を聞いて、12月24日は志村正彦を思う日にしようと決めた。

志村正彦は何かのインタビューで「自分らしい歌詞を書くために、僕は結婚していないし、彼女もいない、とも言えるんです。バンドの中身、つまりは歌詞に込めたメッセージに伴う自分になるために、自分を変えていったというか…。」と答えているらしいのですが、結婚してからいい曲を書いてる人が居ないから結婚しないと言ってた話はファンの人の中で有名だったらしくて、同時に高校時代は「学校4時に終わって、4時半ぐらいからバイトをし始めて、夜12時に終わるんですけど、12時から朝4時5時までその子(彼女)と会って。て、2時間だけ寝て、7時に起きて学校に行って、授業中はウォークマンで民生さんの音楽を聴きながら勉学に励み、またバイトに行って…」と振り返ってて、なんか可愛いとおもった。いつギター弾いてるだ?とも思うし、あたしの高校時代もそんな感じだったから、なんか切なくなった。あたしの場合は「4時に学校が終わって、駅で待ち合わせして、4時半に彼氏の家行って15分だけ
いちゃいちゃして、5時から10時までバイトして、ご飯と風呂入って11時から4時5時までテレホタイムでネットで遊んで、7時に起きて、彼氏の分と2つお弁当を作って、学校行って、授業中はひたすら本を読んで、また放課後に…」だった(誰も興味ないよ)。

聞いてないと言いつつ、ファブフォックスもティーンエイジャーもクロニクルもさらっとは聴きました。どれもとても瑞々しい。特にクロニクルは亡くなる年の版なので、病み要素があるのかと思ったら全くない。すごくポップで、瑞々しかった。こんなに瑞々しい曲が書けるのに何故…、と思った。死因不明、29歳自宅で1人急死という情報しかなかったので、当然自死だと思ったのだ。持病の情報もないし。でも先日、ご遺族に後日聞いたら、自死ではない、それだけは違う、という回答を得られたというnoteの記事を読んだ。信じたい。

Twitterにあげられた、富士吉田の夕日に響く「茜色の夕日」のチャイム。

「茜色色の夕日眺めてたら
少し思い出すものがありました
君がただ横で笑っていたことや
どうしよもうない悲しいこと

君のその小さな目から
大粒の涙が溢れていたんだ
忘れることはできないな
そんなことを思っていたんだ

東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな
そんなことを思っていたんだ」

ーーー茜色の夕日


今年も下手くそなギターを弾きながら、志村正彦を思って1日を過ごします。

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