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イタリアの朗読会に参加する

とある平日の夜遅く、漸くフランス語の試験も終わって気分が晴れやかだったので、数日間は夜勉から離れようと思い、朗読会に参加してみた。
私の語彙力では、100%理解できない小説もあるので(例えば、平野啓一郎氏の作品のイタリア語バージョンのレベルだと、どうしても分からない言い回しが出てくる)、購入前のバロメーターとして、、、
あらすじに心から惹かれる
・本のプレゼンテーションに参加して「いいな」と思う必要がある
のだが、そうでなければ、稀に朗読会に参加し、交わされる意見を聞いてから検討する、という方法を取っている。

今回はたまたま、Irène Némirovskyの「Jezabel」という作品についての朗読会があった。

イレーヌ・ネミロフスキー(Irène Némirovsky, 1903年2月11日-1942年8月17日)は、現在のウクライナに生まれ、フランスで活動した小説家、ホロコースト犠牲者。
ロシア帝国領だったウクライナのキエフ生まれ。1918年、ロシア革命の最中パリに移住し、1920年にソルボンヌ大学に入学、ロシア文学を専攻。
1929年に『ダヴィッド・ゴルデル』がベルナール・グラッセより出版され、作家としてデビュー。
1939年には夫とともにカトリックに改宗。1942年、ナチス・ドイツ占領下のポーランドのアウシュヴィッツで獄中死した。

Wikipediaより抜粋

Némirovskyを知ったのは、映画「Suite française(フランス組曲)」を見たのがきっかけだ。この映画を4回、3か所の映画館で観(行きつけの映画館では複数の従業員と知り合いだから4回も観るのが恥ずかしかったのだ😂)、終いにはDVDを購入する程気に入ったので、本も買わねば、という流れになり、それ以来ずっと気になっている作家の一人だが、彼女の作品はあまり邦訳されていないので、読む機会には恵まれなかった。"Suite française"も、当初は夏の帰国時に購入しようと思ったが、結局は待ちきれずに英語で読み、そして案の定、途中で断念した😅

ポスター: Suite française

やっぱり、日本語で読むのが良いと思うので、下に白水社のリンクを貼っておこう。

映画を観たのはかれこれ9年近くも前で、当時は、映画の冒頭やラストシーン、気に入ったシーンの台詞を俳優たちと、特に大のお気に入りのMatthias Schoenaertsと同時に言えるくらいはまっていた。
そのため、この朗読会の案内が届き、久しぶりにNémirovsky の名を目にした際、「そうだ、彼女はフランス語で作品を書いていたのだった」と思い出し、朗読会はイタリア語だけれど、参加しない理由はないな、という根拠のない確信を抱き、実は家から相当遠い場所で行われたにも関わらず、「参加します」というメールを送ってしまっていた自分がいた。

様々なタイプの朗読会があるが、今回参加したのは、女男比、9.5 vs 0.5以下(20人以上いたうち、男性が1人)、平均年齢は50歳くらいで、久しぶりに平均年齢を下げた(今や稀だ)会だった。またいつもながら唯一の外国人だった。
加えて、かなりマイナーな作品だからかもしれないが、ガリ勉タイプの女性が多く、Jezabelの主人公である、美しく裕福で好色なGladysに共感したのはただ一人だった😂

【Jezabelのあらすじ】
フランスの上流中産階級に属する魅力的な女性が、年月の経過と美貌の衰えを受け入れられないという物語。

戯曲のタイトルは、Racineの最後の悲劇『Athalie』に基づいており、夢の中に現れたAthalieの母JezabelとGladysの間に強い類似性を見たBernardの言葉(※)が引用されている。
※「彼女は悲嘆に暮れても、プライドを傷つけてはいない。それどころか、/長年の取り返しのつかない試練を修復するために、/気を使って、弱々しい方便を使って、/見せかけの美しさを保っていた」

物語は法廷から始まる。20代前の恋人殺害の罪に問われたGladysは、ここ数年でパリ中で最も刺激的な出来事となるに違いない事件の、あらゆる下劣な詳細を知りたがってい大興奮した観客のざわめきに迎えられる。
彼女はまだとても美しい。時は、まるで彼女をただ愛撫したかのように、「しぶしぶ、用心深く優しい手つきで彼女に触れた」ようであり、法廷に居合わせた女性たちは、彼女の数え切れないほどの恋人たちの名前を大食漢のように囁き合う。
刑期はわずか5年と軽い。
弁護側の弁明は、情熱的な動機という減軽要因を持ち出している。
しかし、真実、とは?
・・・・・・・・・・・・
金持ちで、魅惑的で、嫉妬深いGladys。
絶対的な激情と献身をもって男たちに愛され、何よりもそうあり続けたいと願い、そのために無意識のうちに絶望的な獰猛さをもって周囲の人々を踏みにじり、殺人にまで及んだGladys。
Némirovskyは、女性の魂を外科的な正確さで掘り下げることができる作家である。Gladysの華やかで苦悩に満ちた物語を最初からたどることで、真実の、しかし言い表すことのできない殺人の動機を明らかにする。

複数のイタリア語のサイトのあらすじを要約

あらすじを読むと、確かに、非常に心をくすぐられる内容ではある。
私も、何を隠そう、大学に入るまではかなりガリ勉だったので、「美貌と有り余る金を持ち、数えきれない恋人を」という、自分とはかけ離れた世界を垣間見たい、ないものねだりをしたい、という気持ちをいつの頃までか持ち合わせていたのは確かだ。
だから、現在もなお自称ガリ勉の中年女性たち(彼女たちは、ガリ勉vs美女、と自分たちとそうではない人たちのことを分けている)が、本の中でたびたび繰り返される(らしい)「若くなくなると」という部分を誇張し(核となる年齢が40に設定され、その後は「40になると」と表現された😅)、

「でも○○という女優のように、若い頃はぱっとしなかったのに40を過ぎてから輝き始める女性はたくさんいる」とか、

「Gladysが正確に何歳かは表記されていないけれど、60も過ぎて20代の男の前で裸になれるなんて 云々 60を過ぎた身体を抱ける20代の男がいるとは思えない 云々」とか、

「今は美容整形技術も発達しているし、していなくても私たちの見た目は若返っている。私は何歳に見える、ねぇ、私は何歳だと思う?」とか、

歳を取ることばかり気にして、平べったい人物像で、今のソーシャルで痛々しい加工をしている中年女性みたい」とか、
さんざん言いたい放題した後、

「では、今回この本を読んでよかったと思いますか?」という主催者からの最後の問いに、

「う~ん、平べったい繰り返しの内容が多かったけれど、クライマックスには驚かされたから、やっぱり読んでよかった」とか、
Némirovskyの文体は読みやすいから、これも悪くはないけれど、"Il Ballo"(原題: Le Bal - 舞踏会)の方が良かった」とか、
「これこそ、映画にしたら面白いんじゃない?」とか、

最終的には読んだからこその発言をし、決して否定はしないところに、年季の入ったガリ勉継続中のパワーを見た気がした。

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皆さんは、このあらすじと、ガリ勉の中年イタリア人女性の意見を読んで興味を抱きましたか?
私は、、、まずは白水社から出ている「フランス組曲」を日本で読んで、その後はLe Balにしようかな、と思いました。
ゆえに、この本はあと数年は買わないと思います🤫


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