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RRR

『RRR』(2022)
最近、私の周辺で「『RRR』すごいよ」という声をよく聞く。
この喧騒ははるか昔「『マトリックス』すごいよ」という声を聴いた時と同じような興奮を含んでいる。
これはもしや…とそそくさと映画を観に行ってみたら、
案の定、ものすごいインド映画だった。

どうやら、実際のインドの独立指導者たちが主人公で、物語としては完全なフィクションなのだが、主人公の男二人の友情と対立。そして、肩車。

肩車は、インドの神ガネーシャのイメージなのかな。手が4本だし…。

まあとにかく、インドならではの発想で構築された、新しいアクションが曰く10分に1回のクライマックスとなって、観客を興奮させ続ける。
そしてインド映画ではおなじみの、劇中の歌と踊りもストーリーに自然な形で挿入され、しかもそれを見るだけでも十分映画を満喫できたと思わせるような「ナトゥーダンス」。

次から次へと、インドの国民性までもそこに体現しているように感じてしまうような、全くハリウッドに迎合しない、爽快感あふれる傑作アクション大作だった。

特に私が「これこれこれ!これが観たかったのよ」と感じ入ったのは、その映画の良い意味での単純さだった。
最近、日本映画でもハリウッドでも、人間存在の複雑な多面性を描くのが良いとされている節がある。人物設定に多数のレイヤーを設けて、登場人物の、複層のレイヤーの微細な性格の変化を役者は演じ切り、映画は単純な善と悪の物語よりも、例え悪人と言える人が出てきたとしても、その背景も描いて、そうならざるを得ない物語を描写する。「現実の世界に、明確な正義も悪もない」。そうだよね。間違いない。
この映画では、主人公のインド人二人はいつも正しく、インドの神の化身のように超人的で、悪側の支配者のイギリス人はいつも悪い。もう、悪いことしかしない。そんなわけはないだろうとは思う。

だが、正しさに囲まれていると、時に人は疲弊してしまうと私は思う。
勧善懲悪は間違っている。子どもの考え方だ。
けれど、時に人の鬱屈した精神に風穴を開けて、そこから入ってきた新鮮な空気で、大きく深呼吸をすることができると私は思う。
勧善懲悪は、世界を「良い」と「悪い」に分裂させる。それは、精神分析家メラニークラインの言うように、「妄想的」で「分裂的」なものだし、「原始的」なものだし、戦争を煽動する時に使われがちの間違った考え方だと思う。けれど、時にそういう単純に美味しい空気を吸いたくなる。そんな時に、映画という娯楽はとても良いものなのではないかな…。
そんなことを思いながら帰路に就いた。

最後の方は駄文になった。
なにはともあれ、とにかく、おすすめです。


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