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多様性社会は"優しい言葉"なのか?


多様性という言葉を車のラジオニュースでよく聞くようになった。
偏見・差別・生い立ちを受け入れる。
それは肯定的意味として報道させている。
ただそれだけではないと思う。多様性社会になれば、どんな人も社会で生きるプレイヤーとして活躍するチャンスを得やすくなるのではないか。

なぜそんなことが分かるのか?

私は18歳まで発達障害で苦しんでおり、真言宗信徒でもあるという、いわゆる変人という立場で人生を送ってきたからだった。

変人というのは本当に生きづらかったそれは私の学生時代でよくわかる。
授業中はそっぽを向いて、自分の世界に浸りながら空想をする子供だった。言語障害を持っていたので、先生から何か指示をされても「あっち」とは?「それ」とは?と疑問を持ちながらも後先考えずに動いていた。訊いたとしても、分からないと言ったら先生から「またお前は!」と怒られてしまう。そしてクラスメイトからは決まって「本当のアホ」「日本語が通じない。」と人外扱いされていた。
さらに考え方もこじれていた。私が生まれる前に両親が安産祈願をしたのがきっかけで真言宗の住職と仲良くなってから、たびたび挨拶に回っていたからである。そのたびに「この子は仏の加護を受けている」・「特別な子」だともてはやされてしまったため一時期、中二病にかかってしまったことがあり、評判が地へと堕ちたことがある。

このとき私は初めて、自分は変人なんだと感じた。とても悔しかった。
ただ社会に触れて、知った。人間は全員エゴイストなんだと。

こうして私は悔しさを持ちながらも進学校進学、大学で経済学部に入る。悔しい思いを消したいという想いで勉強に明け暮れた。進学するにつれ、発達障害の症状はポツポツと減っていった。
その後就活で20社落ちたというスランプを持った自分だったが、自分が凄い存在だと認知されたくて最終手段として隠していた真言宗信徒であることの体験談を思い切って面接で話してみた。清水の舞台から落ちる思いだったが、その思い切りの良さが評価されて会社から内定を得た。今もその会社で総合職として働いている。

私はこうした変わった経歴と生い立ち・障害を抱えた人たちは多様性社会になったら、その人の良い面も前面に出せる良い社会になると思う。だからこそ、レッテルがある人は多様性社会で現実を知ることで、人とほどよい関係を構築する努力をしないといけないのだろう。そうしたことを考えながら、コーヒーを一気に飲み干す。

ハイブリット車のエンジンが静かにブンと起動する音を鳴らしたのを確認して、私はDriveへレバーを変える。今日も、人が働くアスファルト世界へブォーンと音を鳴らして走っていく。

おわり
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PS.表紙の絵は自分で書いた創作イラストです。気に言ってもらえたら嬉しいな。

【前回の記事はコチラ】

子供のころに仏教を学んだことで身に着いたスキル。|綜 (note.com)


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