見出し画像

【医療小説】 アスペルガー症候群の子どもと横浜ベイブリッジ

■アスペルガー症候群の男の子


「早く横浜ベイブリッジが、かかるといいですね」

この言葉が、私にとって今も心に残る患者さんの言葉です。

この言葉を言ったのは中学二年生の男の子。中二の男の子にしては、大人びた言葉のように思うかもしれません。彼は、私と他の大人が横浜ベイブリッジの話をしているのを聞いて、この言葉を使うようになりました。

彼は、知的なおくれはなかったものの、医師として診断を下していいのかわからなった。
そう、申し送りを受けて上司から引き継いだお子さんでした。私は、「発達の偏り」「コミュニケーションの稚拙さ」「こだわり(変化が苦手)」があったため、アスペルガー症候群であると診断したかったのですが、あえてここで彼に診断名を告げることがいいのか悪いのかが判断つきませんでした。当時は、グレーゾーンすなわち疑いがあるのなら、診断すべきだという考えでした。しかし、彼には彼の世界があり、彼はその世界で楽しく生きているようでした。現在では適応状況によって診断するルールになっているので、現在の診断基準では診断するに値しないのです。もともと、DSM-5(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)では、「アスペルガー症候群」すらないのです。

そして彼は、とくに「こだわり(変化が苦手)」が強く、一度学習したものは、環境や状況が変わっても変化をさせようとはしません。だから、どんな時でも彼が私の診察室に来る時の第一声は、「早く横浜ベイブリッジが、かかるといいですね」でした。

ただそんな彼も、私の前に現れた時には他の問題を抱えていました。

■恋愛感情が暴走している男の子


中学2年生で私の元にやって来た彼は、お母さんに連れられてきました。お母さんは、彼の行動に違和感を覚え…いえ、恐怖を感じている様子。彼は周りの女性に微笑まれたり、少し目が合ったりすると、自分のことが好きなのではないか、と思い込み、相手に話しかけてしまうからです。

1度声をかけるだけならまだいいのですが、その女性に執着をしてしまうところがあり、お母さんはいつか法に触れるようなことをしてしまうのではないかと不安がっていたわけです。

私は彼と話をするために、お母さんには診察室を出てもらいました。そして、看護婦と一緒に彼が診察室に入ってきます。すると彼は、
「あの看護婦さん、僕のことが好きなんだよ。僕がしゃべるとニコニコしてくれるの。ね、これって絶対好きってことだよね」
と言ってきます。

だから私も、彼に彼のことが好きだよと、伝えました。すると彼は、男同士では結婚できないからダメだよと言ってきました。彼の中では、結婚できる相手しか好きになってはいけないという線引きがあったようです。さらに、話を詳しく聞くと、クラスの女子は女の人ではなく女子という線引きもあり、女子は友だちだから好きにはならない。理由は、友だちとは結婚しないから。そして母親に、学校の女子はみんな友だちでしょと言われたから、それをそのまま心に留めているのです。

それから、私は彼の「好き」の暴走を止めるために、恋愛の相談をしてもらうことにしました。

■理解者という名の親友が変えてくれたこと


アスペルガー症候群の人は、こだわりが強いため、約束をすると決して破らないという特性があります。私との約束も守ってくれて、彼は人を好きになっても、私にしか話さないようにしてくれました。

そんな彼も高校生になると、だんだんと変わってきました。男子校だったからというのもあるかもしれませんが、彼はそこで親友に出会えたのです。

何かを変えることが苦手な彼は、親友ができてからは、親友に合わせるようになりました。彼は親友と過ごすうちに社会性を身に着けていったのです。そして、彼の中にあった「好き」という感情も、一般的なものになり、人に執着をしなくなりました。ただそれでも、彼はいつも診察室に入ってくるときには「早く横浜ベイブリッジが、かかるといいですね」と言っています。これだけは変わらないなと思いながら、高校を卒業する時、最後の診察をして、お別れをしました。

大学生になった彼は、もうここに来る必要がないと判断したからです。

それから数年が経ち、彼は久しぶりに私の所に私の所に来ました。大学を卒業して、介護施設に一般就労をしたという報告をしに。

私は彼がまた、あの言葉を言うのかな?と思っていましたが、彼は言いません。横浜ベイブリッジがかかった後も、そう言い続けていたのに。だから私は我慢ができなくなって聞いてみました。

「何言っているんですか。もう横浜ベイブリッジはかかっていますよ」
「そうだったね」

彼は理解していたようです。
大人になった彼を見て、私は熱い気持ちになりました。
これからも、横浜ベイブリッジを見るたびに、彼のことを思い出すんだろうなと思いながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?