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【医師コラム】仕事に対する姿勢が変わった瞬間  小児科研修医

■こそこそしてばかりの研修医
長年医療業界にいると変化していくことはたくさんあります。たとえば、今の研修制度ですと、小児科に新入局員が10人を超えるというようなことはないでしょう。指導医がいて。それに合わせた入局者ということになるはずです。しかし、以前は労働基準法に照らし合わせれば明らかに問題ありと言われてしまうような無給医局員の存在があり、そうすることで少しでも医局員を確保しようとしている医局などもありました。

これは私が小児神経科医を目指して研修をしていた頃の話です。
当時小児科にはスーパーローテート研修医を含めて5人の小児科研修医がいました。5人の研修医がいても仕事は限られています。配属されて1週間が過ぎたところで、私のしていたことはほぼほぼ見学のみ。楽といえば楽です。

研修医になったばかりで、いろいろなれないこともあり疲労もありましたので、朝は眠い。とにかく眠くて集合時間ほぼぎりぎりに出勤していました。これでは医学生と何ら変わりありません。ですが仕事を任されても何もできないのも事実だし、何もできない研修医は看護師にとっては邪魔な存在でもあるので、とにかく、こそこそと先輩の後ろに隠れて行動していました。電話には出ないし他の部署への交渉なんてもってのほか。こそこそ。そんなんでも何とかなっちゃうんです。

■取り残された感覚から立ち上がる瞬間
そんな中、同期の内科研修医などはIVHの手技を教わったとか、外科研修医などは縫合をさせてもらったなどという話も聞きました。今から考えれば、自分を大きく見せようとしたデマもあったのかもしれません。

ですが当時の私は、それを真に受けていたので、お酒の席で先輩に愚痴ってしまいました。
「僕はこのままでいいんでしょうか?」
「ばか。このままでいいわけないだろ? ばかか。仕事は与えられるんじゃないよ。自分で探すんだよ。ばか。他の研修医とどんどん差がついちゃうだろ。ばか」

ほどよく酔っていた先輩に、ばかとばかでサンドイッチされて、オセロだったら「ばか」って何10回も言われたことになるんじゃないか? と、意味もなくそんなことを考えてしまいました。そして「そうか。このままじゃダメなんだ」と、気づいたのです。

当時は小児科病棟では、当直した医師が採血オーダーを確認して採血をして、朝のカンファレンスまでにデータをそろえておく決まりがありました。研修医として不安と緊張の日々で朝は眠いとにかく眠かったのですが、朝に早出して採血をすることにしました。

先輩方は優しくコツを教えてくれますが中々最初はうまくいきません。でもやる気のある研修医に先輩は優しいのです。
「次はうまくできるさ」「最初は誰だって失敗するのさ」
先輩としてはいい下っ端ができたのかもしれません。簡単には手放したくなかったのでしょう。採血して褒められるし、新しい仕事をどんどん任されて、自分としても成長がわかる。そして小児科入院は、とくに夜間に多かったのでどんどん受け持ちをもらっていきました。場合によっては病棟患者の半数以上にたずさわっていた時もあります。

■自信とともに出てきた自我
でもいろいろとやると、それなりに研修医は失敗続きでむしろ失敗しかしていないんじゃないか? と怒られてしまうものです。ですがそんな私を見ていた、先輩の女性研修医もパイプ椅子を医局に並べて仮眠をとったりして、遅くまで残って朝早く出勤したりするようになっていました。

私は「早く成長して患者さんのためになりたい」「キャリアを積みたい」と、そう思えるようになりました。自分らしく生きている実感がわいてきたのです。

何気ない居酒屋での呟きに対する先輩の一言が、私にとっての『仕事に対する姿勢が変わった出来事』でした。

ちょうどそのころ読んでいたまんがに、「お前のなりたいお前になれ!」という今でも大好きなセリフがあります。ライバルがいる環境だったからでしょうか、何度もへし折られましたが自信と誇りをもって、「自分は頑張っているのだ」と、人生で一番成長が感じられた時期でした。

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