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入国書類に「似顔絵」を描いて入国を許可された旅行者と、履歴書に「証明写真」を貼れずに日本を追い出されたADHDの話 【ADHDは高学歴を目指せ】

 33.

 ――日本社会は間違っている。

 僕がそうはっきりと認識したのは、二十代半ばの春、アルバイトの面接におもむいた時のことです。

 僕の差し出した履歴書を見た途端に、そこのオーナーは言いました。

 ――顔写真は?

 すみません、と僕は答えました。

 ――ここに来る途中、どこかではがれて、落としてしまったみたいで。

 実際のところは、そうではありません。

 ――当日早めに行って、現地の近くの証明写真ボックスを利用しよう。

 そう計画していたのですが。
 勿論、そんな計画通りに行かない。
 早めに出る、と言っても、せいぜい十五分早く着く程度。
 それに、そもそも近くに証明写真ボックスがあるかどうかすらわかっていなかった。

 案の定、十五分程度で証明写真ボックスなど見つけられず。

 ――まあ、適当に言い訳すればいいや。

 そう思って、そのまま面接に臨んだのです。


 そんな僕に対し、そのオーナーは、あっさり言いました。

 ――写真がないなら、面接は受けられないよ。

 僕は驚き、慌てました。

 何せそのアルバイトは、時給が結構良いものであって。

 長い旅を終えたばかり、貯金のない僕は、気合を入れてスーツを新調し。
 面接会場まで、バスと電車を乗り継ぎ、一時間ほどかけてやってきたのです。

 それが、採用不採用以前に、面接すら受けられない。

 僕は慌てて、バッグの奥を探しますが。
 勿論ただの演技、そこに顔写真がある筈などありません。

 そんな僕を見たオーナーは、あっさりと。

 ――じゃあ、帰ってね。

 そう言って、さっさと奥に引っ込んでしまったのでした。



 僕は、呆然としますが、どうしようもありません。
 とぼとぼと帰途についたのでした。


 そして、次第に湧き上がってくる怒りの念の中で、はっきり思ったのです。
 ――日本社会は、間違っている、と。


 証明写真の有無程度ことで、遠くからやってきた人を門前払いする。

 細かいことでグダグダ言う、本当に小さな、本当に詰まらない社会だ、と。


 今思えば。
 そのオーナー側の気持ちも、分からなくはありません。

 そもそも高時給のアルバイトでしたから、応募者が非常に多かった可能性が高い。

 その中で、時間と手間をかけて選別を行わねばならないのですから。

 ルールを守れない奴から、まず振り落としてしまおう。

 そう考えるのは、正しいことだと思いますし。

 実際に証明写真に関して明らかな手抜きをしていた僕は、採用されたところで、また別の手抜きをしたことは間違いない。

 門前払いというのは、妥当な判断だったと思います。

 むしろ、面接という余計な労力・時間をかけずに済んだだけ、僕にとっても有難い対応だったと言えるかもしれない。


 けれども、その時僕には、そんなことはわかりません。
 ただただ、怒りがこみ上げてきます。


 僕の反応がそうなってしまっていたのは、僕が若く、愚かだったから――というのは間違いではありませんが。

 もう一つ、理由がありました。



 その数か月前、長い旅のさなか。

 インド・ネパール間の国境を越えようとしたときのことです。


 僕はそこで、イミグレーションオフィス(入国審査場)へと足を運びました。

 とはいえそれは、日本の空港にあるような立派なものではない。
 道端にぽつんと立った、掘立小屋のような粗末なもの。
 看板すら出ていない。

 地元の人々は、一切そこでチェックを受けずに国境を越えていることもあって。
 注意していなければ、そこにあることに気づかずに通り過ぎてしまうようなもの。

 それでも、外国人旅行者は、必ずそこでパスポートに入国スタンプを押してもらわねばならない。
 そうでなければ、のちに不法入国で罰金を取られてしまうのですから。

 幸いなことに、同じバスに乗ってきた欧米人達が気づいてそこに向かったため、僕も彼らに続いてそのイミグレーションオフィスに入りました。

 入口脇に、入国ビザを発給するための申請書が置かれている。
 その記入を終えて、中に入ると。

 十人ほどの外国人が列をなしている。 
 その向こう、部屋の中央に、入国審査官らしき太ったネパール人男性が座っていて。
 彼らは、旅行者に陽気に話しかけながら、次々パスポートにスタンプを押して行きます。

 と。
 僕の前方で、旅行者同士が会話を始めました。

 ――まずい、証明写真がない。

 一人の金髪男性が慌てたようにそう言います。

 入国の申請書には、証明写真を貼り付ける必要がありました。

 「国境越え」の書類ですから、それは国家機関に提出するものなのです。
 アルバイト面接よりははるかに重要で、厳粛なもの。
 流石の僕ですら、自分の証明写真をちゃんと準備していました。


 僕は余裕をもって思います――可哀想に、と。

 彼は書類不足で追い返されるな。証明写真が取れそうな町まで戻らないとな。気の毒に。


 ところが、その金髪男性に向かい、その前に立っていたスキンヘッドの男性が言いました。

 ――じゃあ、これを使いな。

 そしてそのスキンヘッドの男性は、自分の証明写真を金髪男性に渡すのです。

 僕は呆れます。
 いや、ダメだろう、と。

 それ、他人の写真じゃないか、と。


 ところが。
 金髪男性は、助かった、という表情で礼を言い。
 それを、自分の申請書に貼り付けるのです。


 ――これは、トラブルになるかも。

 そう思って、状況を見守る僕の前で。

 スキンヘッドの男性が、あっさりとスタンプを得て、国境を越えて行き。
 いよいよ金髪男性の番になる。

 彼が提出した申請書を見て、入国審査官が首を傾げる。

 さあ、何を言われるだろうか――僕は興味津々で状況を見守ります。

 その審査官は笑顔を見せると。

 ――世の中には、そっくりな人がいるもんだな。

 金髪男性に向かってそう言うと、あっさりとスタンプを押したのです。


 意気揚々と国境を越えて行く金髪男性を見送りながら。
 なんていい加減な場所だ、と僕が呆れていると。


 僕の前に並んでいた、長身の男性が持つ申請書が、目に入り。
 僕は度肝を抜かれます。


 これまた、証明写真の欄が、明らかにおかしい。

 他人の写真――どころの騒ぎではないのです。


 それは、ただの絵。

 ボールペンで描かれた、適当な似顔絵なのです。


 国家機関に提出する書類の、証明写真の欄に、自分の似顔絵を描く――その大胆な行動に、僕が呆然としている内に。

 その長身の男性の順番が来ます。


 ――流石に、これはダメだろう。
 そう思いながら、僕は固唾を飲んで見守る。


 そして。
 ずっと笑顔だった入国審査官の男性も、流石にその笑みを引っ込める。

 ――これは。

 彼は、その似顔絵を指さして言います。

 ――流石にこれは、おかしくないか?


 ところが、その長身の男性は、一切怯むことなく言います。

 ――大丈夫。
 ――五年前は、そんな顔だったんだ。

 大真面目な顔で、そう言うのです。


 何だその言い訳は?
 そんなのが通用すると思っているのか?
 僕は唖然としながら、そう思いますが。


 入国審査官の男性は、すぐに笑顔になると。

 ――そうか、五年前はこんな顔だったのか。
 ――それなら、仕方がないな。

 そう言って、あっさりとスタンプを押し。

 長身の男性は、堂々と、悠々と国境を越えて行ったのでした。



 そんな経験をしたばかりの、僕が。

 たかだかアルバイトの面接に、証明写真を持っていかなかったことを、自分の失敗だと思う筈がない。

 むしろ、似顔絵で済まさず、適当な言い訳をしている分、十分に「常識的な人間だ」と評価されてもいいぐらいだ――そんな風に思ってしまっても、仕方がないのでしょう。

 感覚が思いっきりずれてしまっていたのです。


 ただ、そんな経験があろうがなかろうが。

 ADHDであるということ――色んな事を適当にしか出来ないという自分の個性が、世の中に受け入れられないのだ、ということは、この時にはっきりと認識したことで。

 僕を受け入れようとしないこの日本社会は、間違っている。

 そう強く感じた僕は。

 その後も、日本社会で同じような失敗を繰り返した挙句。
 本格的に、日本を飛び出す――追い出されることになります。

 証明写真などで人柄を見たりしない――似顔絵を出したら笑って許してくれるような、おおらかで自由な、「正しい」社会を求めて。

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