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北インドの生霊 その③ 【旅のこぼれ話】

 ベナレスという街に僕はいました。

 聖なる河・ガンジス川が流れていて。

 死ぬためにやって来た人達の遺体が、焼かれて流され。
 穢れを落とすための人達が、川に入り水を浴び。
 地元の人々が、流れの中で炊事洗濯排泄を行い。

 遠くからやって来た外国人旅行者が、河原に座ってぼんやりそれを眺め。
 金が欲しい街の大人達が、旅行者にまとわりついて自分の店や宿に引っ張り込もうとし。
 金が欲しい街の子供達が、旅行者にまとわりついて汚い絵葉書をお金に変えようとし。
 食べ物が欲しい街の牛達が、路地裏で寝そべり糞を撒き散らす。

 

 そこは、そんな街でした。


 その街の宿で、僕はただ寝転んでいました。

 暑さ、湿気、不衛生さ、煩さ。
 神経が過敏すぎるADHDの僕にとって、その街は余りに刺激が強く。
 まだまだひ弱だった二十歳過ぎの僕は、心も体も完全にやられて、消耗しきっていました。

 そして、日本人自由旅行者御用達の宿に転がり込み。
 僕同様、冒険心はあってもひどくひ弱な、日本人大学生達に囲まれて。

 彼らと傷をなめ合いながら、ただひたすら、辛さに耐えていたのでした。


 まるで楽しくない日々でした。
 唯一の救いは、時間は弛まず過ぎ去ってくれること。

 一週間後、カルカッタという街の空港に到着できてさえいれば。
 綺麗な飛行機に乗り込むことが出来。
 そこで寝ているだけで、清潔で落ち着いた日本へと戻ることが出来る。

 それまでの辛抱。 

 なんとかカルカッタ行きの鉄道のチケットを手配した僕は、その出発日まで、ただひたすら寝ころんで時間を潰していたのでした。


 それでも。
 腹は減るし、退屈もする。

 ある日僕は、いつものようによろよろと宿を出て。
 近くの食堂に向かって歩き出しました。

 時は雨季。
 乾季には人の往来に使われる河原も、完全に水没しており。

 人々は、狭い路地を通って移動しなければならない。

 密集する建物の隙間、無数の人々と数多くの牛が行き交う中を、僕もフラフラと歩いて行きます。

 そして、ようやく、行きつけの食堂の前までたどり着いた時。


 人ごみの中、僕の横を追い越して行く、金髪の外国人がいました。

 何気なく、その腕を見て。

 ――あ。
 途端、僕は、思わず声をあげてしまいました。

 特徴あるタトゥー。
 そう、それは、見間違うこともあり得ない。

 あの、ニューデリーでトオルの貴重品を奪って行った、ドイツ人です。

 ――あ、あ、あ。

 僕は声にならない声をあげて、その後ろ姿を眺めます。

 その奇妙な声に気付いたのでしょう。

 何気なく、振り返った彼は。

 僕の顔を見た途端、顔を引きつらせると。

 すぐさま、前方に向き直り。
 駆け足で、雑踏の中へと消えて行ったのでした。

 *

 そして、それから五日後。

 カルカッタの街に居て。

 辛い旅も終わりが近づいたことで、ようやく元気を取り戻しつつあった僕は。

 上映中に観客が歌い出したり踊りだしたりすることで有名な、インド映画を見るべく、道を歩いていましたが。

 そこに、向かい側から、オートリキシャ―と呼ばれる、バイクタクシーがやって来ました。

 そう、その座席の中に、居たのです。

 ――あの、ドイツ人が。


 僕に気付いた彼は。

 何やら喚いたかと思うと。

 そのオートリキシャは、狭い道で、いきなりハンドルを大きく切り。
 道端の電柱に何度かぶつかりながらも、無数の細かい切り返しの挙句、何とかUターンに成功。

 その姿を、余りの事にただ笑って見守るしかなかった、僕を尻目に。
 全速力で、通りの向こうへと消えて行ったのでした。

 *

 勿論それが、彼との最後の邂逅です。

 結局、彼の名前も何も分かりませんし。
 勿論、トオルがどうなったのかも分かりません。

 何も分からないし、何も出来ないままでした。


 ただ、四度も出会うなんて、天文学的な偶然だな、と。
 帰国後、このエピソードを人に話す度に、そう思いはしたのですが。

 旅を辞めて数十年、つらつら考えてみると。
 それ程の偶然でもない、と気付きます。

 三年間もインドに居て、大麻漬けの生活をしていた彼が。
 初対面の僕に対して、異様に親切だったことから考えると。

 彼は恐らく、僕のような、ひ弱でお人よしで無警戒で比較的金持ちの、日本人旅行者を狙い、同じような犯罪を繰り返していたのではないか、と。

 日本人が多く来るような宿で待ち構え。
 僕のようなカモが現れると、親切にして安心させて近づき、隙を見て金品を盗んで、逃げる。

 逃げる先は勿論、日本人旅行者が沢山やって来る街――北インドの定番ルート上にある、ニューデリー、アーグラー、ベナレス、カルカッタなどの街。

 旅の期間の短い僕と、逃げなければならない彼が、同じようなルート上を、同じような忙しい移動を繰り返すのだから。
 四度も出会うことも、それ程おかしなことではありません。


 けれども。
 そこで、ふと思ったのです。

 そんな風に分析出来るのは、僕が当事者ではなく、心に余裕のある立場だから。

 ひたすら逃げ回っていた、彼にとってはどうだろう?


 広いインドの、どこに逃げても。
 見覚えのある日本人が、人ごみの中に現れて。
 ニヤニヤ笑って、こちらをじっと見ている。


 ――それこそ、悪夢のような話ではないか、と。
 
 そう。
 彼にとっての、僕は。

 取りついた悪霊――生霊のような存在ではないのか、と。


 そう思うと。

 僕は少し、爽快な気持ちになります。

 彼を少しは苦しめることが出来たというのは、見捨てて来たトオルへの贖罪になるし。

 同時に。

 もし今も、彼が旅を続けているのならば。
 彼の悪夢の中で、僕の生霊は、まだ、旅しているのかも知れない、と。

 今この瞬間にも。
 世界中のどこかの、街角に立って。
 ニヤニヤ笑って、彼を眺めているのではないか、と。

 そう思うと。

 旅をやめて、長い時を過ごした僕も。
 ずっと、長い旅を続けているような感を覚え。

 少し、楽しい気持ちになるのです。
  

 

 



 

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