見出し画像

結婚式で、荒野を思う 【ADHDは荒野を目指す】

 しばらくnoteを書く気が起きませんでした。

 それは。

 書くネタが浮かばなかったせい。 
 春になり仕事が多少忙しくなったせい。
 飼い犬が認知症になって夜鳴きが激しくなったことで、たびたび眠りを妨げられ、睡眠不足に陥ってしまったせい。
 
 それらの要因は、確かにありますが。

 それ以上に。

 「結婚式」にて、かなりのダメージを受けたのが、かなり大きい要因になります。


 残念ながら、「好きだった人が結婚してしまってショックを受けた」等の、艶めいた話ではありません。


 台湾で塾を経営していた時代の教え子(日本人)から、結婚式に招かれたのですが。

 新婦とその両親以外に誰一人知り合いもいない、披露宴にて。

 着なれない礼服を着て。

「恩師」という、それなりの敬意がこめられた肩書を背負って。

 五分ほどのスピーチをしなければならなかったのです。


 ADHDにとってこれが、どれ程大変なことか。
 同種の人には、容易に想像がつくでしょう。


 周囲の様々なことがすぐに気になって、話す内容に集中出来ない。
 しかも突拍子もないことが次々頭に浮かんできて、話にまとまりがつかなくなる。

 そういう自分に気づいて、焦ってしまう。
 すると、自律神経がいかれているせいで、大量の汗が出てくる。
 そんな見苦しい自分に気づいて、パニックに陥る。

 

 そういう経験を無数にしてきたのですから。


 招待状が来て、スピーチを頼まれた時点で。

 断りたい、と思ったのですが。



 それでも。
 転校を何度も繰り返してきた、「駐在員の子供」である新婦にとって。

 僅か二年程度であっても、六人程度しかいないクラスで、毎日のように接してきた僕は、唯一「恩師」と呼べる存在だったようで。

 わざわざ僕の所在を調べて、招待状を送ってくれたのですから。

 彼女の心情を考えると、断るのは非常に難しい。


 それに。

 二十年もの間、台湾にしがみついて、必死に作り上げた、形あるもの――会社や資産の――全てを奪われてしまった僕にとって。

 生徒からの感謝、というものは。

 無形ではあるものの、唯一残された、僕が「台湾で生きてきた証拠」なのです。

 だから、自分自身のためにも。
 結婚式に参加したい、という気持ちが沸き上がりました。

 
 そして僕は、出席し、スピーチをすることを決意します。

 けれども、勿論。
 計画的な準備をすることなど出来ない、ADHDです。

 話す内容などろくに考えないまま、当日を迎えてしまいます。



 それでも。
 流石に、五十年も人間をやって。

 その間、馬鹿な失敗を無数にしてきたお陰か。


 ある程度は、「話術」「度胸」「社交辞令」「作り笑顔」なども身についていて。

 スピーチもそれなりに簡潔にまとめて。
 初対面の相手ともそれなりに会話をして。
 新郎新婦やその両親とも他愛ない思い出話をして。

 「恩師」という役割を、それなりにうまくこなすことが出来た――と、思える一日を送ることが出来ました。



 けれども。

 これが、非常に疲れたのです。

 勿論二次会などに参加するはずもなく、披露宴が終わり次第すぐに帰途についたのですから。
 滞在時間は、せいぜい四時間程度のものだったのですが。

 身体的にも精神的にも、疲弊しきってしまいました。



 勿論、身体的なものは、二日ほどで回復しましたが。

 精神的なものは、そうは行きません。


 結婚式ではそれなりに振る舞えた――といっても、所詮、ADHD基準のものです。

 時間が経つにつれて、徐々に、結婚式での自分の言動のおかしさ、未熟さに気づき始める。

 その上。
 結婚式の際の写真、動画が送られてくると、その思いは加速してしまう。

 スピーチをしている時の立ち姿がみっともない。
 スピーチの内容そのものがみっともない。
 笑顔が不自然すぎる。
 若い頃に比べて太りすぎている。

 そう、確認してしまう。

 通常の五十歳に比べて、なんと惨めな人間だろう――そう思うようになってしまう。

 それも。
 僕のことを「立派な大人」だと信じて、招待してくれたかつての教え子の前で、醜態をさらしてしまっている――そう思うと、いたたまれない思いが浮かぶ。


 勿論。

 こんなものは、ただの「自意識過剰」であって。

 新婦やその両親から、散々お礼を言われている事実から見ても。
 僕は、それ程みっともないふるまいをした訳ではない――少なくとも、他人が気に留めるほど見苦しくはなかった、というのは確かなのでしょうけれども。


 それが重々分かっていても。

 五十歳になっていても。


 そんな「自意識」から逃れることが、どうしても出来ず。


 

 その結果。
 一か月ほどの間。

 オフの時間は、ただひたすらに受動的な娯楽で過ごす――動画や単純なゲームなどにただ没頭することで。

 心の中に出来た大きな「澱」のようなものを。

 ただただ、取り除く作業をしていたのでした。


 

 そうして。
 ようやく最近になって、心も落ち着いてきて。

 多少、物を考えられるようになってきたのですが。


 その中で、どうしても思ってしまうのです。

 もう、若くもないのに。
 もう、人生の残りの時間も長くはないのに。

 不要なことで傷ついて、無為な作業でそれを癒す――こんなつまらないことに、長い時間をかけてしまった。



 そして、このままでは。

 僕の残りの時間も。

 そんな風にして、過ぎて行くのだろう。
 そして、無為な最期の日を迎えるのだろう。


 ――そんな風に思うと。

 流石に、焦りが浮かんできて。

 そして、やはり、と思うのです。


 ――やはり、荒野に戻ろう、と。


 昔、身を投じた風景の中。

 チベットの荒野だとか。
 イランの砂漠だとか。
 アフリカのサバンナだとか。
 ヒマラヤの日の出だとか。

 或いは。
 生き馬の目を抜くような、台湾のビジネス界でもいい。
 

 そんな世界に戻れば。
 僕のちっぽけな自意識なんて、瞬く間に消し飛んで行く。

 勿論、その代わりに、別の悩みが数多く生じるけれども。

 それらは、生きている実感を確かに与えてくれる。
 


 ――いつか必ず、荒野に戻ろう。
 

 ただひたすらに、そう思いながら。

 年老いた犬と、年老いた母の命を見守りながら。


 そわそわと、日々を過ごしているのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?