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友人の出家、自分の仕事

そこまでは親しい間柄ではないのだが、ある友人が僧侶になる準備を進めていると人づてに聞いた。

自分の率直な感想は
「うらやましい」
であった。

最近では、バリバリのIT系ビジネスパーソンからお坊さんに転身した小野裕史さんが話題だが、小野裕史さんに対しても同じような羨望を感じた。

どうやら自分の中には、俗世を離れて霊的成長に専念したいという願望がずっとあるようだ。

実生活の維持と、霊的成長の探究。
このテーマにここ数年ずっと悩んでいる。

日々沢山の仕事の依頼があり、それは大変ありがたいことなのだが、
「時間の使い方は、本当にこれでいいのだろうか。」
とモヤモヤしてしまうことも多い。

しかし家族もある。物欲も少なからずある。
もっといろんな体験をしたい、という体験欲も強い。
稼ぎは必要だ。
バランスを欠いて、経済力を失ってしまうことが怖い。

心のよりどころとしている考え方はいくつかある。

例えば最澄さんの

「道心(どうしん)の中に衣食(えじき)あり 衣食の中に道心なし」

心がけを優先すれば衣食住はおのずとついてくる、ということ。これは、恐れることなく霊的成長を追求しなさい、という後押しに聞こえる。

あるいは、有名なヨギーであるデヴィッド・スヴェンソンさんの言葉だが、

「ヨギーというのは自分のいた場所を以前より良くしていく人のこと」

さらにスヴェンソンさんは「山奥や洞窟にこもるヨギーより、実社会で役割を持ちながら霊的成長を高めていくことの方が尊い」というようなことを述べている。社会にコミットしてこそ、その人の霊性は発揮されるのだ、というメッセージは、社会生活者への励ましとして心強い。

いずれにせよ、全てご縁に導かれて生きている。
仕事で出会う一人一人のお客様や仕事仲間ともご縁である。

ならばせめて、目の前のお客様や仕事仲間にとってだけでも、そして一瞬だけだったとしても、菩薩のような存在であろう。少なくともそのような心がけを維持しよう。

「菩薩の練習」

その機会をいただいているのだと考えれば、やはり社会や仕事はありがたいものなのだ。




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