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-わたしのこと、わたしたちのこと-

私の事・私の家族・これまでの軌跡④


私のこれまでと、私の家族や友人のことを少しお話します。長くなるので何回かに分けて記します。

この投稿は、〜私の事・私の家族・これまでの軌跡①、②、③の続きです。


前回までの事は、埋め込みされたリンクをご覧ください↓(上から古い順)






帰りのバスで、私が苦しくなって涙することもあった。
隣で夫はキョトンとしていた。
耳がきこえないので、私と義父の会話の内容を知らないからだ。
なんとなく、自分の父と妻がにこやかに何かを話して、楽しそうだったとか、でもなんだか妻は帰りに泣いている。くらいの認識だと思う。

夫は、そういうことが当たり前過ぎて、興味や疑問を持たないのか?
「どうしたの?」
とか質問してこないので、私も説明を怠っていて、ただただ1人の世界で、寂しさや切なさを持て余していた。

そういう事が積み重なって、誰が悪いという訳でも無く、私は抑うつ状態が少しずつ重くなっていた。

(…これまでの軌跡③から続き↓)


すごく寂しかった。
入院中は、外出許可がおりるまで、病棟の外には出られない。
4人部屋だけど、みんな知らない人ばかりだ。
ましてや、みんな心の体調が悪い。

閉鎖病棟の入院は、独身の時に1回だけあったので、医師の許可の無いものを持ち込めない窮屈さや持ち込めても、ナースステーションの預かりで、一定時間内で看護師の許可がないと使えないものがあることは、わかっていたし、大丈夫と思って持って行ったものが、持ち込め無くても
「そうですか…」と、付き添いの夫に持って帰ってもらって、すぐに諦めがついたので、自分で決めた事だし、任意だし、特に辛いとか、哀しいとか、情けないとかそういう感情にはならなかった。

ただただ寂しかった。
夫と家族になったのに、原家族へのもらえなかった、もらえる筈の愛情みたいなものに、未練タラタラだった。母が恋しかった。父性みたいなものをくれる、義父に会えないのが辛かったし、心配だった。

でも、何とかして今現在の自分を取り戻さないと、私はその過去や未練が、被害妄想が怖かった。

現実のまわりの景色より、過去の傷ついた記憶が襲って来て、正気を失って、人格たちに支配されて行くことの方が、現実を受け止めるよりも、何倍も苦しかった。


入院中も人格たちは、堰を切ったように飛び出しては消えた。

でも、不安定なままの自分でも、病院のスタッフや似た症状を持つ患者さんと話すことで、気持ちが和んで行く自分を感じた。

たまたま、その病院が私に合ったのかも知れない。
確かに一定期間、毎日一緒にいるので、嫌な部分も見たりきいたりしたけど、色々な人がいるのは、どこも当たり前だし、ましてや具合が悪くての入院なのだから、それは仕方ない。
突飛な言動をする人もいたし、距離感がおかしい人も何人かいた。
けど、そこは病院内で、常に病院スタッフ(主に看護師)が常駐しているので、私は遠慮なく相談したし、若い時から精神疾患の仲間と付き合っているので、断ることは断れたし、逃げる方法もいくつか持っていた。

しばらくしたら、外出許可もおりて、病棟内が窮屈だったり、距離をとりたい人がいる時は、積極的に外へ出かけた。
私は、1人で過ごすことに違和感の無い方だ。
寂しがり屋だけど、基本ひとりが好きで、人の気配は欲しいけど、距離も欲しいと思う所があったので、外出するのに1人きりでも不安は無かった。

よく知らない人と、寂しいからって、一緒にいるのは、気疲れするから好まない。

理想はカフェや喫茶店で、1人本を読んで、お客さんは店に来るけれど、私には関心が無いという状態だ。



入院中の外出は、それが思う存分味わえた。
たまに、仲の良くなった患者さんと、時間を示し合わせて、カフェや喫茶店で待ち合わせして、お茶をしたりした。
病院は、あまりそれを好ましく思っていないらしく、決まりで連絡先を患者同士で交換しない規則まであった。

けど、外出許可が出れば携帯も持たせて貰えるし、口頭やメモ書きで、看護師に見つからないように連絡先の交換をするなんて、簡単だった。
(トラブルになることもあるので、自己責任にはなるが…)

外出許可が出るくらいになってくると、ちょっと厳しめの学生寮くらいにしか思わなくなってきていて、むしろ楽しくなっていた。


時間は有り余る程にあるし、患者さんの安全を考慮しての閉ざされた空間だから、世の中の情報もフロアにあるテレビと新聞や雑誌くらいだった。
私には、その規制が心地よく、患者さんや看護師が近くの公園のことや、散歩コース、商店街、雑貨屋、喫茶店やカフェの情報を教えてくれて、散歩に気持ち良い場所や、面白いものが売ってる店(見るだけでも楽しい等)カフェメニューはどれがおいしいか?話するのがとても楽しかった。
それと同時に、如何に自分がそういった小さな幸せに、感情に、人に、興味が無かったのか…思い知らされた。(⑤に続く)

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