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あの子だってきっと、何も分かってなかった

銭湯でぬるめのお湯に浸かっていたら、隣に小学生くらいのグループがやってきました。

わたしは、隣の会話は聴く派です。

昨今の小学生はどんな話をするのかしら、と思い耳をすませました。

◯◯ちゃーん、ほら、
ちゃんとお湯かけてから入らなきゃ
だめだなー、◯◯ちゃんは、本当に
だから、こうだってばーもう笑

リーダー格っぽい子から注意を受けた◯◯ちゃんは、恐らくいつも「ダメな子」ポジションにいる子なのでしょう。
ちょっと卑屈な感じでぎこちなく笑って、えーそうなのー?とか言っています。

既視感。

わたしは元来小心者なので、特に小学校~高校までは学校生活で伸び伸び過ごした覚えが無く、ほとんど常にビビりまくっていました。

イジメられないだろうか
この発言は尖っていないだろうか
異質だと思われないだろうか
裏で悪口を言われないだろうか
変な奴だと思われないだろうか
etc.

だから「ダメだよそんなことしちゃ」とか
「普通はこうするんだよ」などと
クラスメイトから指摘があったりすると
内心「まじか!」と衝撃を受けつつ
えーそうなのー?と卑屈な感じで笑って
「やばいやばいやばい」と慌てていました。

そう。
さっきの◯◯ちゃんと同じです。

でも、◯◯ちゃんに注意をしている子だって、親御さんかなんかの受け売りをさも知った風な顔をして話しているだけ。

…ということが、大人であるわたしには、ありありと見て取れます。

だから、あの時、わたしはビビりまくる必要なんてなかったのです。

幼いわたしを怖気づかせ緊張を強いたあの子だってきっと、世の習いなんて何も分かっちゃいなかったはず。

ただ知った風な顔をするのが得意だっただけで、本当のところあの子だって自分の「色々なことをよく知っている子」ポジションがいつ脅かされるか、内心ビクビクしていたのかもしれないのです。

でも、わたしは自分のポジション取りに怯えている子たちに「気にしない、気にしない」「そんなもん一過性のもんで、大人になったら分かるよ」などと軽い言葉を掛けたり、笑ったりする気にはなれません。

今のコミュニティが唯一の世界で、すごく大事で手放すのが怖くて、友だちから見放されるのはとても大きなことだと感じるのもまた、大事な経験だと思うから。

いつか、自分が感じていた世界の果てはもっとずーっと先にあって、別に仲良しグループの子と気が合わなくたって、学校でうまくいかなくたって、世の中にはとんでもない数の人がいて、その内の誰か1人2人とは心が通う、かもしれないことを、自分で見出して、実感してほしいなと思うのです。

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