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ヴェネツィアとイタリアの歴史観(3/3)

前回からの続きです。

ヴェネツィア創成期、ビザンティン帝国の傘下だった時期以降、18世紀にナポレオンに倒されるまで、ずっとどの権力にも属さずに独立と自分たちの主義を貫いてきたヴェネツィア。
その千年にわたる歴史の中で、フランスは強大な国でありながら、なぜかヴェネツィアに裏をかかれて知恵で敗北するような、苦い出来事が多々あります。ローマ教会にしても、カトリック教徒にとって「死」と同義語の「破門」でさえ、ヴェネツィア人は幾度の破門にもまったく動じない、許しがたい国でした。

ローマ教会とフランスという国に、結果的に恥をかかせたヴェネツィア共和国の歴史は、現代でも大きな権威であるこの二つの潮流から無視されている。また、イタリア国内では郷土主義が強い上に、歴史を扱う仕事の人、つまり歴史家や大学の教授や作家、いわゆる知識人達は、フランスに顔が向いてる事が多い。

これらが、ヴェネツィアの歴史をイタリア国内でもヨーロッパでも過小評価し続ける理由、ではないかと思います。

この大きな潮流、つまりローマ教会とフランスの影響の少ないイギリスやアメリカでは、19世紀から現代まで、たくさんのヴェネツィア史の研究がなされ、その政治や経済、ヴェネツィア人の特殊性に関する書物が多く出版されています。

日本では、塩野七生さんが『海の都の物語-ヴェネツィア共和国の一千年』を書いておられ、その取材力の広さと洞察力の深さだけでなく、読み物として素晴しく面白いこの本は、以前のヴェネツィア人の真骨頂と、かつてのこの街の空気を生き生きと伝えてくれます。

2016年5月14日、Alvise Zorziという歴史家が94歳で亡くなりました。

写真:ティツィアーノの肖像画の前に立つ在りし日のZorzi氏

総督も輩出しているヴェネツィアの古い家系の末裔であり、現代のヴェネツィア文化、歴史の重鎮で、訃報は地元紙はもちろんの事、全国紙でも「ヴェネツィア、最後の「総督」を失う」とのタイトルで報じられました。
氏の著書『una citta’ una Repubblica un Impero-Venezia697-1797(街、共和国、帝国 ヴェネツィア697-1797)』(Mondadori)の前書きに、こう書かれてあります。

「いつの日か近い将来、恨みや先入観から解き放たれた新しい歴史家たちが、情熱と鋭い見識をもって、否定され中傷されて来たヴェネツィアの歴史を、きちんと検証する時が来るだろう」と。

しかし、この大きな権威の潮流が変わる気配はないし、まず何よりも、今のヴェネツィア人である、この街の地元住人の多くが、自分たちの歴史について関心がありません。
有名なこの街の出身である事や、名の知れた建築や芸術についての、ネームヴァリューゆえの自尊心はあっても、自分たちの祖先が、何故どのようにして繁栄していったのかについて知りたいと欲するような、深く内なる誇りが見受けられないのです。

なので私は、「そんな日」(いつかヴェネツィアの歴史がきちんと検証される日)は、とりわけイタリア人の手によっては、持たらされはしないと、悲観しています。


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