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突然人生終了?忘れられない1年前の出来事

はじめまして、栄次と申します。本記事をご覧いただき、ありがとうございます。

今日、初めてこちらで記事を書かせていただくことにしました。理由はこの記事を書いている12月14日は私にとって特別な日だからです。

1年前の今日、私にとって生涯忘れることのできないことが起こりました。それを乗り越えて今日に至る思いを書き残そうと思います。

12月もなかば。これを読んでいるあなたも、毎日慌ただしくされていることでしょう。順調に物事が進んでいればいいのですが、なかなか思うように行かず不安が多いと感じていませんか?

当然ですが世の中には様々な問題、悩みが山積みです。克服しても次々に押し寄せてくる困難に、私たちはいつも苦しめられています。

ありきたりな体験談かも知れませんが「こんな人も居てるんだな」と温かい目で見ながら、本記事を読んでいただけると幸いです。あなたにとって、何らかの励みになることを祈っています。


改めまして栄次と申します。(@eijem125
現在50代なかば、約1年前からXで情報発信をしています。

実は去年の11月、20年近く勤めていた会社を突然クビになりました。3年前に経営者が代わり、私を含める古くからいる従業員を辞めさせようとしている計画があったようです。私はその数週間前から普段しないミスを連発し気にはなっていましたが、今となってはこうなることの前兆だったのでしょう。

私の前職は葬儀屋でした。なり手もおらず仕事を覚えるまでに時間のかかる職業です。ちょっとのことでは会社を辞めることなんてないと油断をしていました。私の前には2人の後輩が辞めさせられていて、共に問題の多い人物だったので普段から目立たないようにしている自分は大丈夫だろうと思い込んでいたのです。

ところが何日か前に犯したミスが原因で即日解雇。突然のことで驚きましたがなす術はありません。

翌日から次の職を探さなければならないのですが、気持ちの整理がつきません。これから繁忙期という時期だっただけによけいに現実を受け止めることができず、数日間呆然としていました。『こんなにもあっけなく日常を失ってしまう』まさか自分がこんな経験をすることになるなんて。

50代なかば、再就職なんてまず不可能。ハローワークにも出向きましたが何の頼りにもなりません。「とにかく自分でなんとかしないと」と、もともとインターネットを利用して収益を上げようとしていた私は連日パソコンの前に張り付いていました。

そこで立ち上げたのがX(当時はTwitter)のこの栄次のアカウント。ココナラで電話相談のサービスを開始し、さっそくその翌日から利用者が現れたりフォロワーが開設3日後には500人を越えたりと、なかなか順調な滑り出しかと思っていました。

ところが実際はそんなに甘くなく、それ以降はなかなか相談を受けることもなかったので毎日必死にパソコンにかじりついて収入を得るための作業を続けていました。


そんなこんなで運命の12月14日。私は救急車で病院に運ばれ緊急手術、そのまま1カ月の入院をやむなくされます。病名はエコノミー症候群。飛行機に長時間乗っているとなるというアレです。

私は普段からタバコは吸いませんし、好きなアルコールもずっと飲んでいませんでした。住み慣れた自宅で普通に生活をしていて突然エコノミー症候群って。長時間椅子に同じ姿勢で座っていたのが原因らしく、足首あたりにある血の塊が一気に心臓まで飛んで、血管を塞いだということでした。

いや、そんなばかな。想像できます?家にいて元気に生活していたのに自分の身体にそんなことが起きるんですよ?

その日もパソコンで何やら作業をしていました。2階にある自分の部屋からトイレに行って、階段を上ってデスクに戻ると急に息苦しくなったんです。

100メートルを全力で走ったあとのように息が上がりました。しまいには椅子に座っているのも辛くて横になる始末。「あれ?なんだこれ、いったいどうした?」こんな症状になったことは今まで1度もありません。

ちょうどその日、朝から何も食べていなかったのでてっきりそのせいだと思っていました。「ちゃんと食べなあかんなぁ」なんて。ストレスも溜まってましたからね。


何を気楽なことをとあなたは思うかも知れませんが、これまで経験したことのないことが起こるとそんなもんです。まして家でじっとしているのですから、身体がおかしくなるなんて思いもしません。ただでさえ不幸なのに、それ以上問題が起きるとは想像すらしませんて。

そのあとどっさり夕飯を食べました。そのままベッドに横になってしばらく眠ったら体調も良くなるだろうって・・・

何時間か眠りました。連日寝不足もあっていつもどおり熟睡することはなく、自然と目が覚めたんです。すると全然体調が回復していないことに気づきました。その時初めて「もしかして、これはただ事じゃないのでは?」と疑いはじめるわけです。しかしこの段階でもまだ心に余裕がありました。それはそれでおかしい。


息は相変わらず苦しいし、ベッドから立とうとすれば足に力が入りません。かといってどこかが痛いとか極端に気分が悪いわけでもない。不思議に思いながらやっぱりただ事ではないというのだけは感じていたので、明日になったら救急車を呼ぼうとだけ考えました。

一応近くに住んでいる兄にも連絡するべきだとも考えましたが、時計を見ると夜の9時。迷惑だからという理由で明日の朝まで待つことに。

しかも私ってホントに呑気で「明日の朝、救急車呼ぶの何時がいいかな?」あまり早いと父親にも悪いし。(現在私は90歳になる父親と同居しています)なんてことまで考えていたんです。つくづく無知ってのは厄介ですね。

あ、読んでいてだんだんドキドキしてきました?私の体調がどうなのかではなく、私という人間がどうなのかだったりして(笑)


そのまま再び眠ったんだと思います。朝方目が覚めて救急車を呼ぶなら身体をきれいにしておいた方がいいと思い、シャワーを浴びることにしました。

裸になってシャワーを浴びることにしたけど、足に力が入らないんです。風呂場の床にべったり這いつくばりながらシャワーを無理やり浴びました。本当に私ってやつは何を考えていたのでしょう。

もうその時点で立てないんです。でもそのまま身体が濡れているのはまずいので、なんとか風呂場から這い出て身体をバスタオルで拭きました。「このあと救急車を呼ばないといけない」とそればかり気にしていましたね。

この時私の頭によぎったのは「今地震が起きたらどうしよう」でした。逃げられないし全裸だしシャレにならないな・・・はい、すみません。


風呂から上がってどれくらい経ったでしょう、何十分もキッチンの椅子にへたり込んでいました。どうやったか覚えていませんが普段着に着替えて遂に救急車を呼ぶことにしたんです。(今思えばすでにこの時意識が飛びかけてたのかも知れませんね?あぶないあぶない)

一応90歳の父親に状態を説明して救急車を呼びました。駆け付けた救急隊員は私を見て呆れている様子でした。私はキッチンのテーブルにへばりついて起き上がれません。「こんな状態になるまでなぜ我慢してたんですか?」ってちょっと怒られたりして。

今苦しんでいる最中の私に、そんなこと言われてもねぇ・・・


そこから救急車の中に運ばれて、病院に出発するまで自宅の前で40分間。受け入れ先の病院が見つかるまでそんなに待たされました。先に述べたとおり私は葬儀の仕事をしていたので、自宅付近の市内の病院は毎日のように出入りしていました。それも20年近くも。なのにいざとなったら市内の病院はどこも私を受け入れてくれませんでした。ひどいと思いません?

なんだかんだでやっとのことで受け入れ先の病院が決まり、15分ほどで市外の病院に到着しました。救命救急室、まるでドラマみたい。


診察台に横になって落ち着いた様子でだいぶ息も楽になっていました。その間身体に超音波を当てられていて、その作業をしている医師の表情がだんだん険しくなっていくのがわかりました。「嫌な予感がするなぁ・・・」その予感、みごと的中。

何やら年配の(態度じゃなくてポジション的に)偉そうな男性医師が出てきて超音波の画面を見せられながら「栄次さん、足にあった血栓(血の塊)が心臓の血管まで飛んでいて、取らないと危険です。今から手術しますがいいですか?」と言われました。

冷静を装って聞いていましたが私は内心「ガビーン!ええ?うそ?そんなことになるの?なんで?」とあまりのショックに夢を見ているようでした。正直「仕事もしてないのに手術代どうすんだよ?」と思いましたね。

でもそのままにしておくと心臓の血管が壊死するなんて言うんですもん、しぶしぶ承諾しましたよ。(この時点でも自分の命の重さを自覚していない)

私「あの、手術って胸を開いて手術するんですか?他に治す方法はないんですか?」と必死に訴えましたがまあ当然却下でしたね。


呆然とする中で別のベッドに移されて手術室まで運ばれました。その距離と時間がどれほど長く感じられたか。スマホを没収されて不安はピークに達しました。

「これからどうなる?手術?入院?そのあとの生活は?」手術台に乗せられ目の前にはドラマとかで見たことのある眩しい照明。ここまで来たらもう腹をくくるしかない。麻酔をかけられ次第に意識を失くす私なのでした・・・


次に目を覚ましたのは手術から5日後、集中治療室のベッドで身体中に点滴の管やらいろんな装置をつなげられて身動きひとつできませんでした。

あとで現れた主治医に「栄次さん、手術から5日経ってますよ。今日から1カ月は入院となります」と告げられた際には、どれだけ気が遠くなったことか。しかもその時、12月のなかば。年末年始を病院で過ごすなんて、人生で経験することなんてあるのかとつくづく悲しくなりました。

とはいえ身体中に管をつなげられた状態ではどうすることもできないので、半世紀生きてきて初めて正真正銘の”観念”をしました。

その日の晩、不思議なことがあって、ずっと病室の天井を眺めていたらうっすらと白い煙が漂っていました。まるでタバコの煙のようにゆらゆらと。「おかしいな、病院の中でこんな風に煙が充満するなんて。空調も効いているはずなのに」

何度目を凝らしても煙が天井を漂っているんです。顔の1メートル上まで下りてきたので手を挙げてはらってもみました。やっぱり煙があるんです。

そばにいた看護師に「なんで病院なのに煙が舞っているんですか?」とたずねたらその看護師は「栄次さん、それは幻覚です。ここは集中治療室ですから煙なんて出せません」・・・え?でも確かにここに煙が・・・

考えたらそのとおりですよね?看護師がそんな嘘をつくわけがないし。またしても初めての体験をその時したようです。意識ははっきりしているのに、私は幻覚を見てしまいました。


そこから2週間も集中治療室に留まり、大晦日にやっと一般病棟へと移りました。その日の晩、もう何十年も見なかった紅白歌合戦を病室のテレビで見たのでした。



2022年大晦日に出た昼食。麺がニュルニュルの冷めた年越しそば


あんなに途方に暮れたのに入院生活の1カ月なんて、本当にあっという間でした。それにしても病院食のま~あ少ないこと美味しくないこと(贅沢を言ってはいけませんが)ほどなく退院したというわけです。



2023年元旦の昼食。メインのおかず。正月から悲しくなりました。


以上が1年前の今日、私に起こった生涯忘れられないエピソードです。

あとから医師から聞いたところによると、もし市内の病院に運ばれていたら適切な処置ができずに転院。その移動中に命を落としていたかもということでした。そして救命救急室にいたのが心臓の専門医で、すぐに原因を見つけられ手術できたことがとてもタイミングが良かったと。

私が救急車を呼ぶまでに2日間我慢していたことを話すと医師は、複数のラッキーな偶然が重なって私の命が助かったと言いました。実際に生きているのでピンときませんが、あと1時間処置が遅れたら最悪の結果になっていたとも言われました。


この1年がどれだけ早く過ぎ去ったことか。体感にして3カ月がひと月に思えます。歳をとるごとに時間がどんどん早く感じますが、その比ではありませんでした。かなりメンタル面が影響していると思います。

ご覧いただいたとおり、私には想像もできないことが自分の身に起きました。でもこれは決してあなたに関係のないこととは言えないと思います。

あなたがまだ20代や30代ならこのような心配はないでしょう。でも40代以上なら日ごろから覚悟してください。断言はできませんがどれだけ気をつけていても、予想しないことが自分の身に必ず起こります。(あ、断言してますね?)

こうなると家族や友人に嫌でも世話になるので、普段あまり付き合いのないという方は何かあった時のためにコミュニケーションをとっておくことをお勧めします。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。どんな困難が降りかかってきても、必ず克服できるように勇猛果敢に人生に挑みましょう。




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