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ワイングラスにさよならを ◇うつ闘病記 その10◇

毎日のように食べ続けたプリンとは反対に、どうしても受けつけなくなった嗜好品はアルコールだった。
うつを発症した時点でアルコールは匂いを嗅ぐのも、見るのも嫌になり、ほぼ毎晩飲んでいたワインやビールが遠い存在になった。

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相変わらず不眠に苦しむ日々が続き、寝る時間が来るのが怖かったが、寝酒を飲もうとは思わなかった。そして、今後、うつ病が改善したとしても、飲酒はきっぱりやめることにした。
再び飲み出すと、再発、悪化の不安をお酒でまぎらわすようになり、アルコール依存症になるかもしれないと危惧した。

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アルコールの中で一番好きだったのはワインである。
ワイン通とはほど遠く、安物のワインでもなんでもおいしくいただく素人だったが、ワインのおしゃれなボトルを見ると、ワクワクした。
味や原産国はもちろん、ボトルやラベルのデザインも様々で、実に心躍る飲み物である。
ワインは親しい人たちと過ごす私の時間を豊かなものにしてくれた。

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30代の頃に働いていた会社で仲良くなった3人の女性とは、その後各々別の職場に移ってからも交流が続き、年に3、4回、女子会を開催した。
場所はもっぱら吉祥寺で、いろんな店を探索していった。

次々とワインのボトルを開けながら、家庭や恋人、推し活の話で盛り上がる。アルコールが入るとほとんどどもらない私は、ペラペラと話しまくり、終電近くになって急いで電車に飛び乗り、酩酊しながら家路についた。
あの頃は若かったなぁと、今ではつくづく思う・・・。

◆◆◆

小学校時代から交流が続いている友人とは、2、3年に1度会い、居酒屋で積もる話に花が咲いた。
お酒に弱い彼女はサワーを1杯、ウーロン茶を1杯、私はとりあえずビール中ジョッキ1杯を飲んでから、白ワインを1杯、そして赤ワインを2杯ほど。

2人の子をもつ彼女と子どものいない自分はまるで違う生活を送っていたが、彼女のママ友話に興味津々だった。楽しい話も、背筋が薄ら寒くなるような話もあって、ママ友づきあいの奥深さに恐れ入った。

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そしてワインは、パートナーと共に過ごした時間を象徴する飲み物でもあった。私のためにスーパーやネットでいろんなワインを買ってくれて、それに合う肉や魚の料理、アヒージョ、自家製パンなどを作ってくれた。

有名ソムリエの田崎真也氏を真似て、気取ってワインのテイスティングやら適当な説明をしてみせる姿を見て、笑い転げた。

◆◆◆

そんな宝物のような時間を与えてくれたワインに、私は別れを告げた。
コルクを抜く瞬間のポンっとはずむ音。
グラスに注ぐ時のトクトクという音。
乾杯する時にチリンと響く音。
ワインが生み出すそんな美しい音色にもさようならである。

◆◆◆

うつ発症から1年半ほど経った頃だろうか、だいぶ症状が改善してきて、ワインをちょこっと飲みたいなぁと思うことが増えてきた。
スーパーのワイン売り場で足をとめ、棚の上方に目をやると、惹句を記した宣伝広告が貼ってあった。

「ワインと暮らす Happyな時間をワインと共に♪」

それを見つめながら、ワインのない生活という新たな人生のステージに入ったことを実感した。ほんの少しなら飲んでもいいんじゃない?という気持ちにはならなかった。
うつを治すには、中途半端にアルコールに手を出すわけにはいかないと切実に思った。

居並ぶ数々の素敵なワインボトルをしばし眺めてから、私は静かに売り場を去るのだった。


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