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休みについて


しばらくぶりのnoteです。
3週間ほど投稿をしていなかったわけですが、その間にもたくさんいいねして頂いたり、少しずつですがフォロワーも増えてきてありがたいかぎりです。

ここ最近はわりと忙しくしていて、あまり心の余裕がなかった。とは言えプライベートではひさしぶりのヨガとのコラボライブが大盛況だったり、仲間うちのイベントだったり、それなりに楽しんでいたのだけれど。

高津神社でのヨガとのコラボライブ



今日はひさしぶりの3連休の初日。やることや頼まれている事はあるのだけれど、だらだらと過ごしてもOKな一日。

さて、

《常識を疑っていく》


というのが僕の人生のテーマでもありこのnoteのテーマでもあるのだけれど、今日は《休み》について語ってみようと思う。

そもそも1週間のうち日曜日が休みというのは誰が考えたのか?週休2日制を1965年にはじめて企業として導入したのが、松下電器産業(現パナソニック)の松下幸之助という事だが、それにしても日本人は働きすぎだろう。僕の今現在49才の肉体的感覚から言うと少なくとも週休3日制にしないとバランスが取れない。だいたい週に5日働いてたった2日の休みで身体が休まるはずがない。若いうちは金曜日ぐらいがへとへとだったのが木曜、水曜…となり、一回りしてすでに月曜日にMAXしんどい。そもそも好きでもない事をしているから疲れるのかもしれないが。先日もこの月末に家族旅行に行くのに2日間有給を取ったら社長が生でゴーヤを食べた時のような苦い顔をしていた。有給があるのに使わない人がいるが、これも日本人独特の感覚だろう。僕は毎年ほぼ有給は使い切る。ちなみにゴーヤは中綿をちゃんと取らないと苦い。

僕の理想は週3日仕事、4日休みだ。これは経済システム、一部の支配者階級が仕組んだ奴隷的地球システムだろう。ほんのひと握りの人間(人間じゃないかもしれない)たちが世の中をコントロールしているのである。ここ最近はベーシックインカムが現実化しそうな感もあるが、これもひょっとしたら国民を縛りつけるがためのシステムかもしれない。

本来は皆んながあくせく働かなくても生きていけるだけのお金が国、世界にあるはずである。それにも関わらず国民から事あるごとにお金をむしり取ろうとするクズ政府は一体誰の味方なのか?

とは言え一サラリーマンがこんな事を言ったところで、ひとりひとりの人生は自由で無限の可能性を秘めているわけで、自分の力で稼いで思いっきり休みたい時に休みばいいというだけの話なのだが。100年後にはもうちょっとマシな世の中になっているのだろうか?それとも人類は絶滅しているのかもしれないな。

話は変わるが、子どもたちはそろそろ夏休み。休み、というのに宿題という罰ゲームが待っているのだ。僕は嫌な事を後回しにし続けている人生なので、もちろん宿題などは最後の日か、もしくはやらない時もあった。それなのに自分の子どもにはガミガミ言うのだから大人は理不尽な生き物だ。先日のラジオで星野源さんと細野晴臣さんの対談でふたりとも同じタイプという事を聞いて安心したのだけれど、アーティストはどっちかと言うとそのタイプの人が多いのかもしれない。細野晴臣さんは今自分の新しいアルバムを作っているらしいが、締切に間に合わなくて締切を外したら、ますますやらなくなったという事だった。やはり締切というのは大事なのかなと思ったりする。僕も何年もほったらかしにしているアルバム(音は全部録れているのに)がある。誰か締切を設定してくれないかしら?

これもこの話には関係ないが、そもそも宿題というシステムも相当におかしい。大人で言うと残業や家に仕事を持ち帰る事と同義で、子どもの場合はその責任がないから、これは教師が学校で教えきれていない学校や教師の怠慢なのだ。それをもっともらしく宿題と言う名目で押し付けられる子どもたちは被害者なのである。もっと言うと無駄な知識を教え、人としての肝心な生き方などを教えていない教育システム自体に問題がある。僕は残業は嫌だし家に仕事を持ち帰ることは絶対にしない。ましてや学校から持ち帰った宿題に残業代は出ないのである。全部が全部理不尽な世の中であろうか。

と、ぼやきだしたらキリがないのでこの辺にしとこう。皆さんもその辺をもう一度考えて頂いて、世の中の常識を疑って頂ければと思う。さて、YOUTUBEばかり見ている次男に宿題をさせるとするか。

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