誕生日おめでとう

人の誕生日を覚えることがむずかしい。

誕生日おめでとう!とプレゼントを渡したら
「ありがとう!明日なんだけどね」と
言われたことがあるし

両親の誕生日さえ
今日で大丈夫だったよね?と心配になって
何度もスケジュール帳を確認するくらいだ。



自分がこんな感じだから
祖父が毎年私の誕生日に
「おめでとう」と言ってくれていたことを特別に感じる。


小さい頃、
祖父は誕生日に電報を送ってくれていた。

車で30分もかからない場所に住んでいるのに
わざわざ送ってくれる電報は、
ボタンを押すと音楽が流れる
可愛いイラスト付きの小洒落たものだった。

流れるメロディーがたのしくて
壊れるまで何度も何度も押し、
私のためだけに贈られた言葉を
繰り返し読んではうれしくなった。


小学生に上がると
電報は電話に変わった。

自分でかけるのは照れがあったのか
わざわざ祖母にかけさせ
自分はついでだ、と言うよう
しぶしぶ電話をかわり
「誕生日おめでとう」と言ってくれた。


毎年かかってくる
一年に一度のこの電話を
私は疎ましく感じていた。


嫌ではないが、
わざわざ電話で祖父と話すということが億劫だったのだ。

誕生日おめでとう、と言われれば
電話口でも笑顔とわかる口調で
「ありがとう」と返してはいたが

誕生日の日に電話が鳴り
母親からおじいちゃんだよ、と呼ばれると
はぁーまたか、とため息をつくくらいには
面倒くさく感じていた。



亡くなる数年前まで
祖父は毎年必ず「誕生日おめでとう」と電話をくれたが、

私は祖父の誕生日に
おめでとうを言った記憶がない。





今でこそ両親と祖母の誕生日は
欠かさず祝うようにしているが

なぜ同じことを
一度でいいから祖父の誕生日に
してあげられなかったんだろうかと
くやしい気持ちになる。


祖父は毎年どんな気持ちで
誕生日おめでとうの電話をくれていたんだろう。

もし祖父の誕生日に
「おじいちゃんおめでとう」と伝えていたら
どれほど喜んでくれただろう。




誕生日には
まず祖父のことを思い出す。

時を超えやっと受け取ることのできた
「誕生日おめでとう」という愛情を

あっちから眺めたり
こっちから眺めたりして
泣いてしまう。





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