見出し画像

価値観という名の基本装備

20代前半の頃、
会社を辞めて引きこもっていた期間があることは過去に何度か書いた。

当時、なんとか自分を奮い立たせたくて
心に残った名言やら格言やらを
ひたすらノートに書き留めていた。

現在、当時の言葉を
『強く生きる言葉』として不定期で更新しているだが、

たまに「そうかぁ?」と突っ込んでしまうような言葉もある。

当時の私の心には響いたのだから
それで十分なんだけど、
騙されたような納得いかないような気分だ。

違和感はきっと
ある程度の人生経験を積み
自分なりの判断基準ができたから感じるものなんだろう。




今この年齢になってようやく
生きていくために必要なデータが揃ったような気がしている。

だから名言格言であろうとも
違和感を感じるのかもしれない。


これが好き、あれが嫌い、
これは許容できて、あれは無理。
あの人は好きだけど、この人は嫌い。

0か100、白か黒の判断をするのは
いい傾向ではないらしいが
まずはそこからなんだよなぁと思う。

子供みたいに極端でわがままな判断を
たくさんしてみた結果
自分なりの中間値がわかったり
グレーの判断もできるようになってくるんじゃないのか。




0か100、白か黒の判断をしがちな人(自分もだけど)って幼少期何かしらが原因で
自分の中の好き嫌いを抑圧してきた人なのでは?と思ったりする。

我儘に好き嫌いを言って
自分なりの判断基準や価値観を確立すべき時期に、「いや」とか「嫌い」とか「したくない」を封じ込め大人の振る舞いをしてきた人たちだ。

子供の頃から
誰かのための自分を優先してきた人たちは
大人になってからようやくわがままを言えるようになり、

0か100、白か黒の判断をすることで
自分の価値観を作ろうとしているんじゃないのかなぁ。



この世界をサバイブしていくためには
自分なりの価値観という基本装備が必要なのだ。















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?