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有ることが難しい

家族のグループラインに
父親から写真が送られてきた。

「喫煙所がなくなり、
代わりにこんなのがいました」





「コンニチハ」


頭に乗せているのはタオル。
おんせん県だから‥らしい。

考案者は駅長さんだそうだ。

かつて喫煙所だった場所を
なぜこの不思議系モンスターの住居にしてしまったのか謎だ。

素直に待合室にしとけばいいやん
と思ったのは私だけではないだろう。


だが

あまりにも可愛すぎる。
私には雪男にしか見えないが
「おんせんだね!」と
母から返信が来ていた。

彼女には犬に見えたらしい。


犬には見えんだろーと
苦笑いしていたら

「温泉犬で正解です。
さすが母です。」と父。

まじで?
いやいや
母に頭上がらんからって
ヨイショしすぎやろ…

とはいえ、二人のやりとりを
ほのぼのと見守った。
かわいいな。




今日もそれなりに忙しかったのだけど
仕事をしつつ頭の片隅にある
全く別のことを考えてもOKスペースで遊ぶ。


突然noteで出会った方たちの
イメージカラーを決めたくなった。

ここで出会った方たちは
それぞれ違う色、濃さ、輝きではありながら
みんなが愛の人だと感じている。(ちょっとくさいね…すみません)

あの人は紫、
この人は赤、
彼は緑で
彼女はオレンジ。
この子はピンクで
あの子は水色。

自分でも驚いたけど
何の迷いもなくスラスラと思いついた。




ここ最近、縁起でもないことを考えていると書いた。

もしあと一年の命だとして、
実際その時はみすぼらしいくらい絶望するし
悪あがきするし、恐怖で眠れなくなると思う。


でも冷静になると
わりと思い残すことってないかなぁと思う。

想像もしてなかったことを
たくさん体験できた、楽しい人生だった。

まぁこんなこと書くこと自体
ほざけ…って感じだけど。
冷ややかにスルーしてください。



noteでは自分が感じていること
考えていることを
びっくりするくらい素っ裸で書いてきたけど

それを仲良くしてくれている
(と勝手に思っている)方が読んでくれて
私はすごく幸せ者だと思う。


生物学的に遺伝子を残すことはなかったけど
私の書いたことを誰かが読んでくれて、
ほんの一瞬だけでも
その人の心に滑り込めたなら
1分後に忘れられていたとしても構わない。

その瞬間があったと言うことが
とてつもなく有難い。

この感覚はきっと
私が素っ裸で書いているからこそ得られたものなんだろう。



有難い、ってすごい言葉だよね。
有難い→ありがとう、でしょ?

有ることが難しいという
幸せの根本原理を
「ありがとう」というたった五文字におさめてるんだもんな。

誰に対して
何に対してでも言うことが出来るのに
実のところ誰に対してでも
何に対して言っているのでもない。

ただただ
有ることが難しいという事実を
自分に言い聞かせている様な。

こんなにも言葉が
自分自身のためであるということが
実感できる言葉ってないよなぁと思う。

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