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もうひとつの世界の物語、21  マリーンと あんこう 5/5

マリーンと あんこう

 マリーンとカイトは、もう南のサンゴ礁にいくひつようがなくなった。
 用心深く、サメがいなくなったのをたしかめると、これからふたりで暮らす、安全な場所をもとめておよいでいった。
 やがて、砂地のなかに砦のようにつきでた岩場で、ふたりですむのにちょうどよい大きさの穴をみつけた。
「ここを、僕たちの新しいすみかにしよう。」
「ここなら、だいじょうぶね。
 穴の中からすべてまわりをみわたせるし、もし何か危険がせまったら、まわりの小魚たちがしらせてくれる。」
 マリーンは、満足そうにうなずいた。
「まずは、傷ついた身体を休めるといいよ。
 ぼくが食べ物をとってくる。」
 カイトは、マリーンの傷がなおるまで、かいがいしく世話をはじめた。
 マリーンは、身体の傷をいやしながら、やがて生うまれてくる卵たちのために、穴の中の貝殻や、小石などを片付けはじめた。
「さあ、これでだいじょうぶ。
 この岩の出っ張りに、藤棚のように卵をつるせば、いつも新鮮な海水をかけられる。
 それに、外から卵をたべにやってきても、私の身体をたてにして、まもることができる。」
 マリーンは、一つ一つたしかめながら、子どもたちがうまれてくるのを想像していた。
 でもそのとき、ふと、アンコウのいったことをおもいだした。
 マリーンは、カイトが帰ってくると、不安そうにたずねた。
「ねえカイト、あたしたちタコの人生って、短くて、はかないの?」
「どうしてそんなことをきくんだ?」
「アンコウにいわれたの。タコが卵を産めるのはたった一度だけ、その一度だけで、カイトもあたしも死んでしまうって?」
 カイトは、どう返事しようか、かんがえていた。
「アンコウの言うとおりだとおもうよ。
 でも、ぼくは後悔しない。
 君に会えて、一緒に生活できて、子どもを産む準備をしている。
 幸せな時間だし、充実した時間だよ。」
「わたしだってカイトと同じ気持ち。いまが一番幸せ。」
「ぼくは、たとえ短い一生だといわれても、それがタコの一生なら受け入れる。」
 カイトは、きっぱりといった。
「そうよね、ほかの生き物と比べても意味がないわね。」
「ぼくは、じぶんがタコであることに、誇りをもっているんだ。」
 マリーンは、大きくうなずいた。
 カイトの力強いことばをきいて、マリーンはもう迷うことも、悩むこともやめた。
 アンコウからみれば、短くて、はかない人生でも、マリーンと、カイトにとって一番大切な時間になった。
 タコとして納得した人生をおくりたい。
 カイトはマリーンをまもり、マリーンは、生まれてくる卵たちのために、せっせと巣作りをつづけた。
 そして、ある夜、
 カイトは、「ぼくのこどもを産んでほしい。」と、長い腕を伸ばし、精包をマリーンのからだのなかにいれた。
 マリーンは大切にうけとると自分の体の中で大切にそだてはじめた。

 やがて3週間後、マリーンは、突き出た岩陰に藤棚のように多くの卵をうみつけた。
 役目を終えたカイトは、
「ぼくの役目はおわった。
 死ぬ姿を君にみせたくないから、ぼくはいくよ。」
 と、しずかにきえていった。
 わかっていても、さみしいわかれ。
―カイトはもうすぐ死んでしまう。
 そして、あたしもこの卵のせわをして死んでしまう。
 マリーンは、いつくしむようにあとにのこされた卵の世話をつづけた。
 卵が死なないように海水をかけつづけた。
 卵を食べようと魚がちかづいてくると、自分の身体をたてにして追い払った。
 約一か月ものあいだ、一度も食事をとらず、ずっとそばにいて、かいがいしくせわをした。
 もう、マリーンの身体は疲れ果ててぼろぼろだった。
 そんな、ある日、小さな卵から、米粒ほどの、可愛いタコの子どもが、からをやぶって、生まれてきた。
 次から次へと生まれては、元気におよいでいく。
―まあ、なんてかわいい子どもたち。
 マリーンは、いままでの苦労がいちどにむくわれた。
―これがあたしの一生なら、おもいのこすことはなにもない。
 疲れ果てた体に、幸せな気持ちがみちていた。
―もうこれで、あたしも死んでしまう。
 マリーンは、最後の子どもを見送ると、ゆっくり巣穴をあとにした。
 海の流れにのり、波間にゆられながら、アンコウをさがした。

 アンコウは、いまも海底で、じっと上をにらんでいた。
 疑似餌のない竿をふり、怖い顔であたりをみまわしている。
 マリーンは、やっとみつけると、声をかけた。
「アンコウさん、やってきました。」
アンコウは、マリーンのすがたをみて、すぐ理解した。
「そうか、卵を産んだのだな。
 そんなぼろぼろの身体で、よくここまでやってこられたな。」 
 マリーンは、弱々しくほほえむと、
「あたしの子どもたちは、みんな可愛くて、元気におよいでいきました。
 もう、おもいのこすことはありません。」
 アンコウは、やさしくいった。
「悔いはないのだな?」
 命がつきようとしているマリーンは、小さくうなずいた。
 アンコウの目に、きらりと涙がひかった。
 そして、なにもいわず、いっきにマリーンをのみこんだ。

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