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経験者は語る

 「劣等コンプレックス」とは?という話。

 「100分de名著 アドラー“人生の意味の心理学”」によると、それは、自分はAであるから(例えば高校生で言うなら、かっこよくないから、大人で言えば、若くないから?)、Bできない(恋人ができない、新しいことは出来ない?)みたいに、自分で決めつけてしまうことだそう。
 自分だって、もっとかっこよかったら、若かったら、Bできるのに……、という「AだからBできない」は、ぱっと見、仕方のない・避けられない因果関係のようだけど、実際はそうではない、とアドラーは言う。本当は、Aでなくたって、Bできる。なのに、「AだからBできない」と考える人は、むしろ自分の意志で、B出来ない殻に閉じこもっているのだ、と。自分で「変わらない決心」をしているのだ、と。
(わ~、厳しい……。)

 変わらない決心をするのは、なぜか?
 それは、止まっているほうが、より大変な課題に立ち向かわなくていいからだ。Aよりもっと認めたくない原因・現実を突きつけられたり、Bできたときに必ずついてくる嫌な面を背負ったりするのが怖かったりするからだ。だから、Bできないままの自分でいたい。世の人が自分の問題を克服できないのは、この、「変わらない決心」のせいだ、と、アドラーは考える。
(たしかに。思い当たる節はある。
 でもこれが授業なら、この辺りで振り返ると、高校生は寝てるか、
 ??になってるかするんだろうな…。)

 ちなみに、「劣等感」の行き過ぎから、自分をやたらに優れているように見せかけようとしたり、そのために人を劣っているように見せかけようとしたりする、「優越コンプレックス」というのもある。「高学歴」とか、「高額年俸」とかにこだわったり、もっと陰湿な、「いじめ」「モラハラ」「パワハラ」、あと、異常に高い目標や理想を持つのも、「優越コンプレックス」のあらわれだそうですよ?

 と、この後、話は、「承認欲求」、「操作」、「課題の分離」、「共同体感覚」・・・と、続く。(が、長いので省略。)

 じゃあ、「劣等コンプレックス」「優越コンプレックス」から抜け出すにはどうしたらよいのか。
 アドラーは、「普通であることの勇気」を持ちなさい、と言う。

 人は向上心を持つものだけど、だからと言って、人と比べて特別なものにならなくてはならないと、思い込んではいけない。自分が特別でないこと、普通であることを受け入れる心が、劣等コンプレックスの克服につながる。スペックとか要らない。ありのままの自分から始める、のだそう。

(へぇ~、なるほど。アドラーってこんな感じなんだ……。
 高校生向きかも。)

                 ★☆★

 この話について、現役浪人生である、とある若者曰く、
「たしかに。そういう感覚がないと病みそうになるよね。」
だそう。経験者は語る。

 わたしもアドラーに賛成。そうだ、そうだ。格別すごくもない、普通っていいものよ?と、心底思う。それに、普通って案外貴重ですよ?
 けれど、若者にはなかなかそんなこと、ピンとくるわけがない。

                 

 今年の大学受験は、さすがのとある若者でも「病みそうになる」ような経験のようでした。生井金太郎くんに試合で負けたときの比ではなさそうでした。(ちなみに、この話の流れだと、とある若者はすごく難しいところに行きたかったように聞こえますか?そうではないですよ😊。でも、何を手に入れたい高嶺の花、と感じるかは、人それぞれでしょう?)とにかく、そうなると、わたしの気持ちも、本能的にいっしょに……。

 でも、だからと言って、アドラーを振りかざして、このタイミングで、「そうよ、そうよ、そんな特別でなくたって、ぜったい普通がいいのよ。」と誇張するのはそれこそ、「操作」。わたしが、気が休まりたいだけですよね。とある若者がどう感じて、何に向かっていくのかは、とある若者の領域。
 だから「課題の分離」。わたしは、わたしを何とかする。
 そうして、とある若者はとある若者の課題に、自分の思うやり方で取り組んで行ってください、どうぞ。
 そういうことをアドラーは言いたいのかなあ、と思いました。
 あなたはあなた、わたしはわたし。

 ただ。
 もうあまりなさそうだけど、もしとある若者が、何かうれしそうな顔でわたしに振り向くときがこの先まだあったら、まだしばらくの間は、同時ににっこり笑っているお母さんでいたいな、とも、思ってしまいます。まあ多分、ほとんどないでしょう。

 
 わ~、長い!
 でも、ついでにちょっと、言いたくなってしまいました。
 ハイ、おわりま~す😊




大雨にも耐えた、うちの近くの昨日の桜。
もう日本中このくらい咲いてるのかな??

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