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問題だと思ってた自分の問題だった

昨日、こんなつぶやきを投稿した。

学校の先生から聞いた話をわたしは"問題だ"ととらえ、どうしようか悩んだのだ。


「問題」ととらえてしまえばそれは「問題」になってしまう。


宇宙の法則や大石洋子先生の思考の話では、自分の内側にあるモノ、潜在意識にたまってる思考などが外側に映し出されてるだけで、ある意味チャンスでもあるな〜と思ったら気持ちがラクになる。



でその問題を別の角度から見てみると、それって本当にわたしの問題?という疑問を持ったのだ。



親だから

子どものために

しっかり教えなきゃ

自分の子なんだから

ちゃんとしなきゃ親として

そうじゃないと責められる

親の躾がなってないと


よーく考えてみると、ぜんぶ、わたしのためじゃないか。


親としてちゃんと向き合ってるアピール。責任もって躾けてますよ〜と、わたしだけの責任じゃないとだれかのせいにするための策。


「わたしが」どう見られるか?を大きく気にしてる。ひょえ〜〜〜。


見るのはそこじゃない。子どもが何を考え、何を思って、何を感じたか?なのにね。



先生から話を聞いて事件だ!と思い、ちゃんといい聞かせ子どものためだといいながらわたしの考えをただただ子どもに押しつけるだけの行為をしそうになり、ハッとした。



その事件というのが、授業をボイコットしたこと、配ったプリントをぜんぶ、排水溝に突っ込んだこと。



授業のボイコットに関しては初犯ではなく、過去に何回もある。



子どもにもやった理由があるかもしれない。いや、もしかすると理由などなく、面白そうだからとかただ何となくかもしれない。



そもそもなぜそれが問題だと思ったのか?



学校の授業はサボっちゃいけない。しかも小学生で。学校からもらったプリントは親に渡すものであって、捨てるものじゃない。そもそも排水溝はゴミ箱じゃないでしょーが!!といういきさつ。



学校はサボっちゃいけないってゆーけど、大人だってサボりたくなることだってある。小学生だからサボりたくなる気持ちがあっても許されないの?



なんなら高校のときサボりまくってたし。高校生はセーフで小学生はアウトってどんな線引き!?
しかも親のフリして学校に電話までして休んでたからね。親には内緒で。



ちがう。年齢とか学年とか、子どもだからとか親だからとかじゃない。



"サボる"という行為がダメなこと、という思い込みだ。



だから大人になってもサボることに躊躇してしまう。なんならサボれない。サボるなんてもってのほかだ!だから休みたいと思っても休めず、風邪をひいたり体調不良でしか堂々と休めないのだと、より内側をこじらせてた。



前もって休みたいとき有給使えばいいとかではない。突然、気分がのらないとか行きたくない衝動にかられることってないだろうか?わたしはある。



気分がのらないとか行きたくないってだけで仕事をサボるなよって思い込んでる自分がいるだけだ。



ホントにそうなの!?

気分がのらないのに無理して行かなきゃいけないの?

サボるってそんなに悪いこと?



ってことを子どもを使って気づかせようとしてただけってことかもな〜。



わたしだってプリントぜんぶを親に渡してたわけじゃない。都合の悪いモノは捨ててたし。排水溝に捨てるのはダメだけどね。



子どものすべての話を聞いて質問してまた聞いて。


でね、子どもに任せてみたのよ。



なんの問題も起きずあっけなく解決して幕を閉じた。ポカンと開いた口が徐々に笑ってた。なんじゃそりゃ〜〜〜!!



問題だと思ってた自分の問題だったってだけの茶番劇。




Revenge Day60クリア

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