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どうせ忘れられるけれど

連休中日、今日の家族サービスとでもいいますか、子どもたちを楽しませるために、釣りをしてきた。


釣ってほしいから、釣れるといわれているところまで遠出し連れてきたけれど、この日のことをまだ幼い子どもたちはきっと忘れてしまう。


長男、長女もたくさん遊びに連れて行ったが、ほとんど覚えてないといわれた。


もちろん覚えていてくれてることもあるが、あんなにがんばったのに覚えてないんだ〜とガッカリする。


いま小学生3人の年子たちにも、楽しい思い出をたくさんつくってあげたくて、親であるわたしと夫は翻弄するわけだ。


きっと忘れる。忘れるだろうけど、楽しませたい。


この思いって、子どもを楽しませることが最大の目的であるのだが、もしかすると、親であるわたしたちももちろん一緒に楽しみたいという思いで動くのかもしれない。


いまはとても便利な世の中。


思い出は、スマホがあるからいつでもそれを写真や動画としてすぐに残せる。


ちょいと昔なら、うつるんですみたいな簡易的カメラを買って写し現像するか、ビデオカメラを回すかだった。


いまはすぐに手元にあるスマホですべてをクリアできる。


素晴らしい。画期的な進化に感動、感謝してしまう。


仮に子どもたちが今日この日あったことをたとえ忘れたとしても、スマホに残したカメラや動画が、確実にこの日のことを見せてくれる。


ちび3人がまだ小さかったころ、家族でいろんなところにいったり遊んだりしたのを、スマホで撮っていて、夫と、こんなに小さな年子3人を連れて、本当に二人でよくがんばったよねって話になった。


子どもたちが覚えてなくても、わたしたち夫婦はスマホを見れば鮮明に思い出せる。


どうせ忘れられることかもしれないが、この子たちが大きくなったとき、この画像や動画を観て、「こんなことあったの!?」「なんとなく覚えてるかも!」「なつかしい♪」と、家族の会話が増えることだろう。


疲れたけれど、子どもたちと一緒に楽しんだことは、ホンモノだ。

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