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恋について考えた 『ののはな通信』 月1読書感想文6月

震えるほどの恋の記憶を抱き、私たちは生きる。
本書帯より


その後経験する、全ての恋の温度の基準となってしまう程の激しい恋を、果たしてどのぐらいの人が経験するのだろうか。

『ののはな通信』
三浦しをん著 2018

【あらすじ】
女子校で出会った2人の少女、ののとはな。
正反対の性格の2人だが、親友から恋人へと運命的な恋に落ちる。しかし、ある裏切りにより2人は決別し、嘆き傷つき混乱しながらも別々の道へと踏み出す。


この作品は、2人の少女の27年にわたる交流を書簡形式で綴られたもので、授業中に回したメモ、速達で送った手紙、葉書、それから時は経ちメールのやり取り、出す宛のない独り言のような手紙で出来ている。

2人の少女の恋は熱く激しく、お互いを己の魂の片割れだと信じ、閉じた繭の中で溶け合うような日々を過ごす。
まさに恋愛の醍醐味の盲信的な部分。
その人の存在を考えるだけで、毎日が輝いたり、反対に言いようのない不安になったり。
とにかく恋愛から流れ込んでくる、活力の凄まじさ。

ほとんどの恋は始まりがあれば、終わりも訪れる。
この作品で印象に残るのは、2人が別々の人生を歩み始めた後の世界だと思う。

あれだけ濃密だった恋が終わっても、世界が終わる訳ではなく、また同じように日は昇り、時計の針は進み、人は1分1秒と自分の刻を消費していく。
2人とも新たな出会いを繰り返し、恋をしたり妥協をしたり、衝動を楽しんだりするのだが、その根底であの濃密な関係が「あの時の様な熱さは感じなかった」という明確な基準となって表れる。

昔の恋が、心身のどこかに潜んでいて、それがその後の恋愛の評価の基準となる。
恋の絶頂で、ポキリと折れるように終わったからだろうか?
だから、鮮明過ぎるほど鮮明な状態で、記憶の部分にインプットされているのだろうか。

通常は、徐々に熱が冷めたり諦めや理解が、恋の熱を冷めさせ色褪せさせ、過去の物へと変えていく。
だから次の恋をして「今が幸せだな」と思うことができる、のだと思う。

だからと言って、2人がその後不幸だった訳では、決してない。
ちゃんと自分で選んだ自分の道を歩いている。
ただ、その長い道程のお供が、あの恋なんだと思う。
あの時があったから、自分は強く生きられる。
そんな感じ。
魂の片割れがいなくなった人生を、進んで行くためのモチベーションとでもいうべきだろうか。

実際に、何年も期間があいた後も、ふとした拍子に2人は連絡し合い、近況の報告をしたり、相談事をしたり、相手を心配し、はっきりとした嫉妬心を持つこともある。
これは元々親友だった、という関係性のなせるワザかもしれないが、やはりお互いの心だけではなく体の中に、ずっとお互いが住み着いているということだろう。

…すごい、ね。
アンケート取ったら、別れた相手に会いたいとは思わない方が多いと思う。
どういう理由であれ、終わりが来たから別れた訳で、その瞬間から1秒1秒過去になっていく。
どんなに素敵でも、サイズが変わってしまった服の様な物。
無理に着ようとしても、どこか不恰好。
そう考えると、終わったはずの現在進行形の恋?ということなの?
オマケに、どちらか片方の執着ではなく、お互いに同じ温度と湿度というところ。

2人の恋は、その後の恋愛だけではなく、お互いの人格にも影響している。
深く激しい恋をし失う事で得た、ある種の思慮深さ、あやうさ、過激さ、物憂げな部分。
そんな感じが、誰かを深く愛した人だけが持つ、『魅力』として描かれている。
年月を重ねる毎に、あの時の恋を見つめて咀嚼し理解したからだとは思うが、それができる程、己の中で大切で輝いていた経験だったからだろう。

結局、色々な事情もあり、作中では2人が再会し…2人で幸せになろう…という事にはならない。
現実世界だと、何とかして会おうとしてしまったり。で、失敗する。笑
そういう生臭さがないのは、己の中の存在がある種の神聖化してしまっているからかも。

好きだからこそ許せないとか、大切だから身を引くとか、映画や小説はよくあるパターン。
しかし実際は?
好きなのに、身を切り裂かれるような思いをして離れる事が出来る人は、果たしてどのぐらいいるのだろう。
大体が、両目を瞑り(片目じゃ足りない)プライドや理想を握りつぶしてまでも、「ヤダー!」とジタバタしてしまう。
なんだったら、ダッシュで走って行ってしがみつきたいぐらい。笑

自分が彼女の1番の理解者。
わたしたちは、魂の片割れだから。
多分、命が尽きようとするその瞬間でも、そんな自信をのぞかせる。
どこに居ようが、誰と居ようが、どんな状況であろうが、わたしたちは繋がっている。

よく晴れた空を見た時、いつもより上手にコーヒーを淹れられた時、沈む夕日の一瞬の燃える輝きを見た時…
心の中で囁くように呼んでしまう名前がある事は、果たして幸せなのか、それとも淋しい事なのか。

そんな事を考えながらも、
テレビを見ながら大笑いをしている旦那を横目に、「我が家は今日も平和だな」とついつい笑ってしまう。
そう思える日々も、悪くはない。


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