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書評:反音楽史 ~さらばベートーヴェン~

・先入観を覆してくれそうなタイトル
・2004年 山本七平賞受賞作
この2点に興味が湧いたため手に取ってみた。
以下書評。 ※当時の表記はプロイセンだが、便宜上ドイツとした。


 「バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、
楽聖たちは何故ドイツ系ばかりなのか?」
誰もが「そういえば」と思ってしまう素朴な疑問を本書は掘り下げていく。
「日本の柔道」、「アメリカのバスケ」、「ニュージーランドのラグビー」といったお家芸のように、「クラシックのドイツ」と言わしめるような芸術の土壌があったのか。
 
そうではない。
 
 17-18世紀の音楽の主流はイタリアにあった。
当時は、“ドイツ人の書く音楽はすべて亜流であり、イタリア人の足元にも及ばない。”
という考えが世の中の“常識”だったのだ。
なぜイタリア人が席巻していたのかはイタリア・ルネッサンスが鍵となる。
そこで興った芸術や学問は少しずつ、北へと波及していった。
音楽もまた例外ではない。
教会を中心に、合唱とその作曲技術が発達し、
16,17世紀をその頂点とする複雑な対位法という技術が開花する。
17世紀にはオペラが誕生し、演劇という舞台芸術に音楽の力が加わった。
こうした流れから、「音楽はイタリア人」という地位が確立し、
北の諸国は、音楽および音楽家の輸入国とならざるを得なかった。
 
 このイタリア人の壁がドイツ人の天才たちの前に幾度も立ちはだかる。
 モーツァルト(1756-1791)は、幼少期こそ神童ともてはやされたが、成年を迎えたころには浪人を経験するなど不遇な扱いを何度も経験する。
宮廷楽長にはサリエリが君臨し、オペラではチマローザ、サルティ、パイジェッロらが躍動。
自身で≪フィガロの結婚≫、≪コジ・ファン・トゥッテ≫、
≪ドン・ジョバンニ≫の本格的なイタリア・オペラを世に送り出すも、ウィーンでヒットするには至らなかった。

 バッハ(大バッハ:1685‐1750)に国際的な評価がされるようになったのは19世紀もだいぶ進んでからのことだった。
17世紀までは、対位法が教会音楽にとって必須とされていた。
しかし、イタリア・オペラが花形の音楽となると環境は一変する。
そこでは独唱者とその伴奏という簡単な構造であればよかった。
そのため、対位法に代わってメロディーと三和音による”和声音楽”が猛威を振るうようになる。
バッハの音楽は完全に時代遅れのものとして扱われたのだった。
(最新のヒットチャートに民謡で挑んでいるようなものだったのだろうか。)
晩年は聖トーマス教会で職を得て過ごした。経済的には恵まれているとは言い難い状況だったようだ。軽佻浮薄な世俗ではなく、敬虔な信者と向き合っていたとの見方もある。しかし筆者は、転職先を何度も探すもうまくいかず、同じ場所にいるしかなかったと史実をもとに断言している。

 その他、ヘンデル、ハイドン、グルックといった音楽家が苦杯を喫した逸話が続く。
推測ではあるが、「イタリア人の奏でる音楽が一流」というブランド意識に阻まれた部分もあったのではないだろうか。

 当時のドイツは、イタリアのみならずフランス、イギリスにも完全に後れをとった後進国であったのだ。
厳しい現実に対して、「自国をいたずらに嘆く」、「とにかく斜に構える」、「身の丈に合った癒しを求める」といった心の平穏を保つ方法もあるだろう。
しかし、ドイツ社会がとった選択肢は「劣等感を覆す」というストロングスタイルだった。

18-19世紀には軍事力のみならず文化、芸術、科学などの分野で恐るべき発展ぶりを見せ、列強に加わっていく。
挽回の精神が社会に浸透し、市民を牽引するに至ったのは何故か。
それは、18-19世紀に活躍したカント、フィヒテ、ヘーゲル、シェリング、ショーペンハウアーといったインテリたちの思想が、”追いつき追い越せ”という精神の強力な援軍となったからであった。

そして、フランス革命により、貴族の権威が失墜した時代に作曲家ベートーヴェンが世に解き放たれる。
高揚する音楽ともに文学ではゲーテやシラーが頭角をあらわしていく。
ドイツが諸外国を猛追し始めると同時に、「崇高」という精神性と「美」という概念は不可分とされ、芸術分野の発展にも目が向けられた。
しかし、絵画や詩、小説といった領域では各国に大きく水をあけられている。
それでも、ドイツには突破口であり、まだ未熟である分野が残されていた。
音楽批評である。
勃興する社会的勢いは、音楽の評論という方向へ注ぎ込まれていく。

 そして、音楽史を体系化するステージが出来上がったタイミングであらわれたのが、音楽家であり文筆家のシューマン(1810-1856)である。
彼の筆もまた、ドイツ中心の音楽史観に大きな役割を果たしていく。

 その後、普墺戦争、普仏戦争 の勝利によって国家としてさらに強大な存在となっていく。
20世紀にいたってはアインシュタイン(1879-1955)がドイツ作曲家の歴史的意義とその音楽の魅力を語るまでに至るのであった。

 全編に渡り、筆者のドイツに対する容赦ない表現が散りばめられている。
まかり通っている音楽史は意図的につくられたものであり、気がつかないうちに閉ざされた見方になっている。
まるで、いつのまにか鶏小屋に入れられているようなものであると。

 精緻な文章で切りつけてくるような厳しい印象を受ける人もいるだろう。
あとがきにそえてある渡部昇一氏の文章を沿えてバランスを取り、本文を終えようと思う。

(以下本文)
それはドイツ人達の自己の文化を賞揚する巧みさと信念についてである。
バッハが、「生前、国際的に比較的無名であって十八世紀に君臨したと呼べるようなことは特別にしていなかった」にも拘わらず「天才音楽家のみに許された、人の魂を虜にする力が備わっている」音楽である彼の膨大な作品を、長い年月保管し、時流とともに取り上げ賞賛し、また研究し普及させた努力はやはり驚嘆すべきものがある。
バッハの音楽が素晴らしいものである限り、このことは公共の利益に反していないのである。
他の文化を踏みにじるようなやり口は論外であろうが、我が国も自国の文化にもう少し自覚的になり、誇りをもって大切にもして、外に対しては戦略的に広報すべきではないか、その様な思いも湧き起ったのである。

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