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(102)「自己犠牲の愛」はあるのか?②

【原則2】女性の「相談もどきの話」は相手に「解決方法」を求めていない

女性の「相談もどきの話」は、相手に「解決方法」を求めていない。求めているのは「共感」と「同情」だけ

相談なのか?なんだかさっぱり分からない内容を話す、その知人女性。
そんな話を久しぶりに会う友人に話して相手がどういう気持ちになるのか、相手に対する配慮は感じられない。少なくともその話を聞いて誰が幸せに思うだろう??

この一連の振る舞い、発言が彼女の「生き方」そのものなのだろう。

解決策を求めるのであれば話してよいと思うが、彼女の中で既に「結論」は出ている。アドバイスなんて望んでいない。
ならば、なぜ話すのか?

理由は二つ。
①自分の意見に「同意」してもらいたい。
「かわいそうな私」のマウントを取ってストレス解消をしたい。

「お気の毒ね。」「よく辛抱したね。」「忍耐強いね。」「偉いね。」「自己犠牲の愛だなんてすごいね。最高の決断だね。」
と言ってもらいたいだけ。 

夫に「虐げられる原因」はその彼女自身の中にある。彼女は「自分が悪い」とは微塵も思っていない。

この夫はおそらく家族の問題とは別なところに(おそらく)仕事のことで妻に告白できない相当な苦しみを持っているのだろう。妻に打ち明けたところで自分の心境を理解する妻ではない、という苛立ちが「妻を虐げる」「妻や我が子に権力を振りかざす」という手段でこのご主人は無意識のうちに心のバランスを取っている。

もし本当に夫が嫌ならば夫から逃げたらいい。
夫は彼女を監禁も軟禁もしていない。

虐げられているならば、離婚するなり、別居するなりしたらよいこと。

子供のために離婚できない??
都合のいい言い訳。そんな父親のそばで育てた結果、娘は心身症になったのだから。

世間体(てい)が悪い?この時代に?
明治時代ではあるまいし。
本当の理由はそこじゃない。

続く

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