脳が焦げ付く

一人で考えよ、という言葉がある。

人間一人でないと思考しないし成長もないという意味の言葉らしい。
納得はさせられる。まあそうなんだろう。
実際僕もnoteを書くときは絶対に一人だ。
でもそれは一人の時ほど思考が深まるからではない。

一人でいるとどうしようもなく抑うつに落ち込んでいくからだ。
一人でいると苦しくて死ぬしかなくて何かにどこかに吐き出していなければ、希死念慮以外のなにも浮かんでこなくなるからだ。僕が一人でいるときの生産性は(しっかり休むという意味も含めて)限りなく0に近い。

これはかなり避けようがない事態で、僕はここ一二年「一人だったから有意義に過ごせたぞ」という1日をもったことがない。例外は今春急に知らないどこかに運ばれたくなって飛び乗った京王線の終点で高尾山に登ったことくらいだ。
山頂に雪が降り積もった日で、雲間からさす陽光で雪がきらめいていたのを覚えている。

まあ、それだって朝どうしようもなくボロボロだった精神が立ち直った話でしかないので、まあ1日もないといっていい。
それが考えようもなく悪いことだとは、わかっている。

一人でいるのがあまりにもつらく全力で逃げた結果何かを成すこともあるので、冒頭の言説を間違いだと切って捨てることは僕にはできないんだけれど、

それでも、死なないことの方が大切だ。今は。

一人でないと思考しないという主張の本質が「人間暇になりでもしないと思考を深めるなんて面倒な労働に従事しないよね」ならば

伝えるメッセージは「一人になれ」ではない。
思考を深めるために個々人に合った選択をしろ。ということだ。

鬱でつらいときに、偉人達に耳を貸すな、常識人を切って捨てろ、常識につばはいて埋めろ、あなたのやり方でいい、僕のやり方でいい。

無理をすべきではない。

神経を緊張させっぱなしで、アイマスクとイヤホンと、睡眠薬とがなければ眠ることすらできなくなった馬鹿者になった僕に小さいころの僕はなんというだろう。

それも選択だよ。といってあげるのだろうか

脳が焦げ付いて、うまくまとまらいのでこれにて失礼します。

それではいい1日を。


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