父と墓参り。


数日前のある日、父から連絡があった。
「今日は仕事?」
最近の私は例によって仕事に嫌気がさし、自由出勤なのをいいことに、また休んでいる。
人生の宿題だ、などと分かったような記事を書いておいてすみません。


「休んでます」とLINEを返したら、すぐに電話がかかってきた。
彼岸に墓参りができなかったので、今から一緒に行かないかとのお誘いだった。
もちろん二つ返事で行くと伝え、急いで準備をしていたら、電話からきっちり三十分で迎えに来た。相変わらず時間にシビアな父だ。


父がどういう人なのか未だ掴めない、と過去記事で書いた覚えがある。
両親が離婚したのは私が成人した頃。それまで共に暮らしていたのだが、父は自己開示に積極的でなかった。
成人するまでの私に、行動からその人を理解しようとする心掛けや、単純に親への関心がなかったという要素も大きいと思う。
まあとにかく自分にとって、親はよく分からない部分が多いのだ。
往復二時間と少しの道程は、そんな父と色々な話ができる貴重なドライブとなった。


印象的だったのは仕事についての話だ。
父は六十を過ぎている。仕事は夜勤が多く、年を重ねて身体がかなりキツいらしい。会社にはかねてより昼勤中心のシフトにしてほしいと意思表示していたそうだが、後任が育たないのでなかなか決まらないそうだ。


その後任として昨年配属された男性が、何と私の小・中学校の同級生というのだから、驚いた。
彼は高卒で父と同じ鉄鋼業の会社に就職したのだが、別部署で接点がなかったらしい。それが幾つもの部署を転々とする事になり、最終的に父の直属の部下になったそうな。


父は定年に向けて徐々に引き際を整えたい?のだが、その為には自ら部下を育てねばならない。その仕事には責任があり危険があり、取得しなければならない資格もあるらしい。
人手不足、人間同士の軋轢、周囲に疎まれ続ける自分勝手な社員の存在など、聞けば聞くほど一筋縄ではいかない仕事場だ。

これらの話を「どうもならんな」という調子で、しかし面白がりながら語る父の姿に、長年勤めてきた人の骨太さを感じた。無理を承知で私が同じ土俵に立ったとしたら、一瞬で塵のように吹き飛ばされてしまう類の男性社会だ。
父が厳しくも温かい目線を注ぎ、部下を信じて仕事を任せようとしている様子にグッときた。
同級生の彼に労りのようなエールのような親しみと、また頭の下がる気持ちも覚えつつ思いを馳せていた。


六十五歳、定年を迎えたら仕事どうする?と父に訊いてみたら、
「今の会社は退職するつもりだけど、年金をもらいながら仕事は続けていきたい」と返ってきた。
私は仰天した。父曰く、仕事をして役に立っていたいらしい。何らかの形で社会に参加していたいと。


すごい。自分だったら、お金に不自由ないなら仕事はしたくない。それに生きてるだけで、社会に十分参加していると思っていた。一生働き続けるという意識がまるでなかった。
『外へ働きに出る事』の捉え方が父と私では違うんだ。
少し眩しい気持ちで仰ぎ見る気分になった。


ここまで文章を書きながら、現在の自分の状況について考えていた。
やりたい事と、やりたくない事と、やらなければいけない事。その兼ね合いについてとか。
それについてはまた別の機会に書くとして…墓参りと二時間のドライブは終始楽しく面白かった。


今はもういない祖父母についての話もちらほらしたのだが、感じたのは、結局、自分の両親について全てを知っている人なんて居ないよなあ、という当たり前の事だった。
お互い生きているうちはコミュニケーションを取り、会えなくなったらたまに思いを馳せる。時々墓参りに行く。
どうやったって悔いは残るのかもしれないなと、父が両親について話す横顔を見て思った。
いい休日だった。


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