夫の実家


夫の実家に行くと、たくさんのお土産をもらう。
義父が畑で育てた野菜、ぽんかんやユズなどの柑橘類、ジップロックに入れ冷凍した食材、おでんや炊き込みご飯、梅酒などお手製の物。
食べ物のほかにも、義母のハンカチやかばん・衣服から台所スポンジや食器などの生活用品まで、とにかく多種多様のものを持たせてくれる。
家から車へ何往復かして積み込むくらい大量の場合もある。


最初は「こんなに頂けるんですか!?ありがとうございます!」と驚き押し頂きつつ、いざ帰ってみると持て余すことが多かった。
もらえるのは有り難いが、たとえば大量の柑橘類や高菜は、敬遠してダメにしてしまうことがあった。
冷凍の塩蔵ワカメやグリーンピースなども、冷凍室に押し込んだままの時期もあった。

赤飯は苦手だから、正直いまいましく感じながら食べていた。こぢんまりとしたお重に詰められた赤飯には、小さい袋に入ったごま塩が付いていた。


私は義実家では「ありがとうございます!!」と大げさに感謝しながら、お土産を『処理』することが実際面倒くさかった。
貴重な休日を、大量の野菜を洗う事に費やしたくないなと不満がもれる。
いらないのなら貰わなければいい、断りにくいのなら自分が断るからと夫が言う。
そういう事でもないんだよなあ…と小さくモヤモヤする。 


貰って役立つ物もある。野菜は助かる、お義母さんのバッグもこないだ姉の結婚式で重宝した。ありがたかった。


…だけど、手に余るのだ。
冷静に考えると、私の能力では頂いた物を十分、活用できていないのだった。
それなのにあれもこれもと貰ってキャパオーバーになっていたのだ。


なんであれもこれも貰うのだ?
いや、ただ、私がいい格好がしたいのだ。
主婦として全て引き受けられます、という顔がしたかったのだ。

そもそも、夫は実家に帰りたがらない人だ。両親と不仲ではないが、とにかく干渉されたくないらしい。
「親と兄の三人で馴れ合ってるのが気持ち悪かった」などと言う。
ことあるごとにそう繰り返す夫に、子どもの頃の面影を見て勝手なストーリーを作り上げてしまいそうになるが、それは私の邪推でしかないし、余計なお世話だ。


とにかく、夫が実家に行こうとするのではなく、私が義務感に駆られ定期的に夫を連れ出しているだけなのだ。
その義務感は『親なんだから顔を出すべき』という押し付けと、『自分がいい格好したい』という自己満足からのものだ。
なので誰に強制されているわけでもない。

いい格好したいという心が、良くも悪くも今までの自分を突き動かしてきたのだ。
それは義実家との付き合い方だけではなく、仕事にも人間関係にも。

それで本題なのだが、
最近の自分は良くも悪くも、いい格好したい心が少し薄らいできた。
今まで結構、過剰だったその心が「もうよくね?」となぜか萎えてきている。
そして自分本体も、それを少しずつ受け入れようとしている。
その振り幅が大きすぎて、ていたらくを晒すこともあるのだが、最近は少しずつバランスが取れてきたように感じる。
自分がどこへ向かうのかはまだ分からないけど、良い傾向もある。


たとえば、自分のテリトリーに入ってきた物?を、得られたものと自覚して活用しようとする。


義実家からの頂き物。
大量のぽんかんの一部は、柑橘類が好きな私の母にあげる。そして家に持ち帰った分は、大切な栄養源と自覚して食べる。
柑橘類は、酸性に偏りやすい身体をアルカリ性にしてくれる。皮をむくのが億劫だっただけで、ぽんかんはすごく美味しい。
同じように高菜は塩ゆでしてアクをぬいてから、刻んで鷹の爪・醤油とみりんで甘辛く炒めると、旨い常備菜になった。

わかめもグリーンピースも、日持ちするし使い勝手がよくて最高だ。
料理のレパートリーが増えていき、食材を無駄にすることもなくなった。


もちろん、義実家で貰うものが今の自分には不必要なら「ちょっとそれは…使わないですね」と断ることもできるようになった。
(そもそもいい格好するって、あれもこれも貰うことじゃないですね)


いい格好しすぎるのを止めてみると、そこに使っていた心が解放されたのか?
結果的に主婦、というか生活する人として成長できている気がする。


この間、炊き込みご飯をお義母さんに頂いた。お重には小さい袋に入った刻み海苔が付いている。気遣いを有り難く感じ、大切に食べようと思えた。
そう思えるようになった自分を、より一層好きになれているこの頃だ。


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