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理系女と文系男/第6話;不思議な感覚

文化祭が終わった後、10月以降に私が文筆部の活動に本格参加する話をする前に、ケイとのちょっとしたエピソードを話しておきたい。

この話の中で、かなり重要なエピソードだ。

この 一件があって、私は今まで抱いていなかった特別な感情をケイに抱くことになった。


高一の4月から、私とケイは同じ塾に通うようになった。それなりに大きい、集団授業をしている塾だ。私とケイは、英語と数学を、ここで受けていた。

クラスは偏差値別になっていた。私とケイは別のクラスにいたのだけど、二科目とも同じ曜日に通っていた。

時間割表の通りなら私とケイは同じ時間に授業を終えることになっていたのだけど、クラスが違うと、なかなか同時に終わることはない。

最初のうち、私たちが一緒に帰ることは滅多に無かった。

塾は立地がよく、大きな駅まで徒歩五分程度だった。

私が受けていた授業が終わる七時半頃、日が落ちて暗くなっても、塾から駅までの道筋はいつも割と人通りが多かった。人気が無いより人目があった方が何かと安心感があったので、女子が独り歩きするのに大きな不安はなかった。


あれは一学期の中間テストが終わった後の六月、制服を夏服に衣替えした時期だった。夏服って言っても、ブレザーを脱いで半袖になるだけだけど、まあいいや。

塾の授業が終わって、私は帰路に就いていた。ケイは一緒ではなく、一人だった。

私は駅を目指して歩いている途中、人から声を掛けられた。
若い男性だった。

「すみません。私、〇〇教という宗教を信仰している者です。五分ほど、お時間頂けますか? 貴方の為に祈らせてください」

そう言って、その人は私を呼び止めた。

妖しさ満載なのだが、この頃の私は…いや、今もか? かなりアホで、こうやって道端で話し掛けて来る人に簡単に応じていた。

(五分か。それくらいなら、いいか)

私はそう思った。
授業が終わる時刻が七時半だったので、夕飯を駅構内の店で摂ってから帰宅していた。店の混雑具合の影響で、帰りに乗る電車の時間がまちまちだった背景もあり、五分の足止めなら大したことはないと私は判断して、祈りたいと言ったこの人に応じることにした

「では、一緒に合掌してください。……目を閉じてください」

言われるままに動く私。今思えば恐ろしい。この人が危険な人だったら、目を閉じた瞬間に何をされていたのだろう?

幸い、本当にこの人はマイナーな宗教を信仰している人で、危険な人ではなかった。

目を閉じた後、何やら読経みたいな声が聞こえてきた。

(メイショ様って何? なーんか、よく解からないなぁ…)

目を閉じて読経を聞きながら、私が呑気にそんなことを考えていたその時だった。

不意に誰かが私の背中を叩いた。

「まりか! おい、まりか! 何してんだ!!」

男の人の声だった。誰かは判らなかったけど、声色は切迫していた。

だけど私は宗教の人に言われた通り、目を閉じたまま合掌し続けていて、背中を叩いた人には応じなかった。

暫くすると、宗教の人が「目を開いてください」と言った。言われるままに目を開くと、私の視界の隅によく知っている人の姿が映った。

(ケイ! ああ、背中を叩いたのはケイだったんだ!)

そう、ケイだった。ケイは私たちから少し離れた位置に立っていた。鋭い視線を私と宗教の人に向けながら。

その間、宗教の人はいろいろと私に語り掛け、私は適当な返事をしていた。

「本日はありがとうございました。この祈祷によって…」

宗教の人が一連の儀式らしきものの意味を説明し始めた。
私はそれを聞き終わってから動くつもりだったけど、ここに来てケイが動いた。

「行くぞ!」

ケイは私の腕を掴んで引っ張って、まだ喋っている宗教の人から引き離した。
ケイは早歩きで、私を駅の方へと連れて行った。

「何? どうしたの?」

私はケイの行動の理由が解からず戸惑っていた。ケイは足を止めずに私の方を振り向き、強めの口調で言った。

「バカか、お前は!? 言われた通り目を閉じるバカがいるか!? 目を閉じた隙に、鞄ひったくられたり、連れ去られたりしたら、どうするつもりだったんだ!!」

ケイに言われて、私は初めて事の重大さを認識した。

確かに、相手が危険人物ではないという保証はなかった。目を閉じた瞬間、犯罪行為に遭う危険性は十分あった。
私はそんなことなど全く考えず、ただ言われるままにあの人に応じた。
運良く危険な人ではなかったから、事無きを得ただけだった。

「ごめん…。全然、考えてなかった……」

ここはケイに頭を下げるしかなかった。
ケイに手を引かれる私は自分の浅はかさを痛感すると同時に、別のことにも気付いた

(こいつ、私が襲われた場合を考えて、見守ってくれてたの?)

ケイは私に構わず、そのまま通過することもできた筈。でも、それをやらなかった。
儀式みたいなものの途中で無理に私を連れて行くこともせず慎重に動向を窺って、一番安全なタイミングを選んだのだ。

(これって、してもらって当然じゃないよね…)

私は気付きつつあった。
今まで、ケイが私の小説を読んでくれることも、戦隊やライダーを観て話を合わせてくれることも、全て「してもらって当然。なぜなら私は可愛いから」という考えがあった。
だけど実は当然ではなく、凄くありがたいことなんだと。

でも、どうしてか?     この時、私はケイに感謝の言葉を掛けなかった。


この流れで私とケイは、夕食を共にすることになった。

駅ビルのマクドナルドに入ったのだけど、レジ待ちの列に二人で並んでいる時、私は今更になって気付いた。

(あれ? ケイ、私より背が高くなってる)

中一の時、ケイは明確に私より背が低かった。その後、私は余り背が伸びず、ケイの方はぐんぐん背が伸びていたのだけど…。
この日、私は初めて、ケイが私の身長を抜いていたことに気付いた。

(力も強かった…)

私は、ケイに握られた方の手に目をやった。まだ手首には握られた感触が残っていて、肘や肩には引っ張られた感触が残っている。

痛みじゃいない。温もり? 頼もしさ?

体に残ったケイの力の痕跡に対して、私は不思議な感覚を覚えていた。


暫くすると私たちの注文の順が巡って来て、それぞれ注文した。
ケイが何を頼んだのかは忘れたけど、私はチーズバーガーのハッピーセットを頼んで、いい歳をして玩具に小さなマイメロのぬいぐるみを注文した。
マイメロのぬいぐるみは、当時流行っていた携帯ストラップになるよう、耳に輪っか状の紐が付いていた。


私たちは壁際のカウンター席で一緒にハンバーガーを食べたのだけど、ケイの説教が凄かった。

「手間かけさせやがって、バカが。あんなの、“ちょっと急いでるんで~”とか言って、適当にやり過ごせばいいだろ」

何だろう? ケイが言っていることは正論なんだけど、なんか言い方が癇に障った。

「だって、別に急いでなかったし。五分くらいって言われたし…」

私がグズるように返すと、ケイは口調を荒くした。

「バカ正直に答える必要ないだろ!? お前、何処までバカなんだ!?」

怒っているのは、ケイがそれだけ私を心配していた証拠。なんだけど…。
私はこの日、ケイに何回バカと言われたのだろう? さすがに腹が立ってきた。

「あのさぁ! 自分より成績悪い人にバカ呼ばわりされる筋合いはないんだけど! 人の目を見て話せない人にも、バカとか言われたくないんだけど! パンチラの隠し方が可愛いとか言う人にも!」

それまで壁の方を向いてケイの説教を聞いていた私は、この時になって初めて体をケイの方に向けた。
その時、ケイはずっと私の方を向いて説教していた。

だから…私が体をケイの方に向けた瞬間、私の視線とケイの視線がぶつかった。
一しきり怒鳴った後、私はケイと目が合っていることに気付いて…。

(えっ? 何、この感じ? どうしたの!?)

本当に訳が解らなかった。胸が締め付けられるというか、呼吸が難しくなったというか…。息苦しくはないけど、独特な感覚が胸を襲った。心拍も速くなった気がした。

緊張のような安心感のような、とにかく不思議な感覚。

私は堪らず、目を逸らしてしまった。
多分この時、私の顔は紅潮していたんだと思う。

「おいおい。自分も目を見て話せてねえぞ」

ケイは呆れた感じでそう言った。そして何故か、ハッピーセットのマイメロのぬいぐるみに手を伸ばした。

「数学の問題が二、三問できたって、世間知らずのお嬢様はバカって言われんだよ」

ケイはマイメロのぬいぐるみの耳に付いていた輪っか状の紐に指を通し、マイメロを回転させ始めた。

「ちょっと止めて! イジめないで!」

私はケイからマイメロを奪還した。

これで会話は一時的に途切れた。私たちは中断していた食事をまた再開した。

小口でポテトを食べながら、ふと私はケイの横顔に目をやった。

(毎週、こうやって一緒にご飯食べたいな…)

心の中で呟いた私は、次の瞬間、思い切ってこんなことを言っていた。

「ねえ。私、バカだからさぁ。次は犯罪者に声掛けられて、ノコノコついて行っちゃうかもしれないよ。私、バカだから」

唐突に私がそう言ったので、ケイは不思議そうだった。また、私の視線とケイの視線が重なった。

こうなると、また不思議な感覚に襲われる。安心しているのか、緊張しているのか、よく解らない感覚に。
私はまた、目を逸らしてしまった。

「何だよ? どうした?」

ケイは本当に、この時の私が理解できなかったのだろうか?
今なら、こいつに言い返してやりたい。
「君は下線部で示された登場人物の気持ちを100字以内で書くことはできるけど、目の前の女の子の気持ちは解らないんだね」と。

私は視線を下に落としたまま、膝に降ろした手でスカートの裾を掴んだ。

「私、バカだから…。ちゃんと見てないと、犯罪者について行っちゃうかもしれないよ。ケイが見てないと、今度は殺されちゃうかもしれないよ…」

めちゃくちゃ頑張って、めちゃくちゃ小さな声で私はそう言った。

素直に言えなかった。
「毎週、ケイと一緒に夕飯を食べたい。一緒に帰りたい」って。

ケイが私の本心に気付いていたのかどうか、今でも解からない。
だけど、ケイはこう答えた。

「ま、夜道をJK一人に歩かせるのは普通に危ないからな。これから毎週、一緒に帰るか」

その時のケイの口調は、凄く優しかった。
私は思わずケイの方を振り向いてしまった。そうすると、今度は逆にケイの方が目を逸らした。
自分で言うのもなんだけど、多分、この時の私は満面の笑みを浮かべていて、それが可愛すぎて直視できなかったんだろう。

私は座っている位置をズラして、体を少しケイの方に近付けた。


この日のことは本当に後悔している。

私を心配して見守ってくれことが嬉しかった。
助けてくれて、ありがとう。
貴方のことを好きになった。

どうして言えなかったんだろう?
どうして気付けなかったんだろう?

この時の私はまだまだ、自分の気持ちすら正確に把握できないくらい幼稚で、
ケイはいつまでも傍に居てくれると思っていたくらい傲慢だった。

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