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魂がふるえる 塩田千春展 @森美術館

塩田千春に憧れたハイティーンのわたしはなんだったのかというのを考えながら観た。

ツイッターでは「潮田千春展は空疎だ」という論争が起きているのを傍目に。

あの物量には感服するのは昔も今も変わらず。
たましいと言われるとスピ感がすごいけど、塩田千春を知った当時は、記憶とか存在とかそういうものを繋ぎ止める糸、という受け取りかたをしていた。そのその糸が絡まり、繋がり、大きな繭になっていく。個の存在が大きな渦に接続されるのを目撃する、みたいな。

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今回は出てなかったけど、靴や鍵の作品は持ち主の存在を強く感じるモチーフの作品だと、そういう印象が強い。それは怖くもあるし、妙な安心感みたいなのもある。(こういうのを書き始めると、それって人類補完計画じゃん…⁇とか思い始めるけど、面倒なので横に置いておく)

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今回出ていたスーツケースや船がモチーフだと、そういう印象は薄い。だから映えスポットと化してたんだと思う。鍵や靴はおいそれとは撮れない怖さがあった。(今だったらそれでも、おかまいなしに撮るのかもしれないけど)

見終わってからあれこんなもんだっけ?と思ったのはそういうモチーフのせいがあるような気がした。


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