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読みたい本を、読みたいように読む。

本の読み方を、一気喰い方式からつまみ食い方式に変えた。

「やりたいことをやりたいようにやる」という映像研の浅草氏の言葉に感銘を受けてから、ことあるごとにこの言葉を思い出して日々を過ごしてきた。そしてついに、本を読む時も「読みたい本を読みたいように読んでみよう」と考えるようになった。

これまでの読書スタイルは一冊集中型で「今日はこの本を読むぞ」と決めて一気に読み進めると言うことをしていた。でも今思えば、集中力のない私には明らかにその方法は適していなかった。

集中して読もうと思っても少し読んだら飽きてきて、無意識のうちにスマホに手が伸びている。「いかんいかん」と読書に戻るけど、集中力が切れてしまっているから内容が頭に入ってこない……。

そんな読書の失敗体験が続き、読むことへのモチベーションが下がってしまっていた。読みたいけど読めない。でも本屋に行くのも好きだし、興味のある本はためらわず買ってしまう。買う時にもちょっとした後ろめたさを感じてしまい、本を気持ちよく買えないことにも悩んでいた。

そんなことの積み重ねで、知らぬまに少しだけ読まれて飽きられてしまった積読が山のようにたまってしまった。部屋のあらゆる場所に本の山が聳えていて、最近では連峰化している。

そんな、どんどん積まれていく本たちをどうしたものかと思っているときに、ようやく思い出したのが先の浅草氏の言葉だった。

本だって好きなように読めばいいじゃないか。一気に集中して読むという変なこだわりを捨ててしまえば、きっとまた、気持ちよく本を読むことができるはず。

そこでまずは、自分にとっての「読みたいように読む」が何か考えてみた。その時一番興味のある本を読むのは大前提だが、それだけじゃ足りない。一気読みしようとしたら飽きてしまうのだから、それならいっそ、飽きたら潔く読むのをやめるというというのも大事なんじゃないかと思った。

その時一番読みたい本を読む、飽きたら読むのをやめる、またそこで一番興味のある本を読む、本を読むこと自体に飽きたら読書自体をやめる……。その方法なら、理論上は読みたい気持ちと飽きてしまう気持ちが共存できる。それに、うちには山のように積み上がっている多種多様な本が揃っているのだから、一冊に飽きても次読みたい本が出てくるはず……。

実際にその方式を試してみると、それまでの「読めなさ」が嘘のように、飽きることなく本を読むことができた。私は読書自体に飽きてしまうわけでなく、内容に飽きてしまうだけだったのだ。

これまではなんとなく本を読む時に「どっこいしょ」と思い腰を上げる感じが否めなかったのだけど、今では気軽にスマホを開くように本を開くことができている。本を読むことに対するハードルが下がった感じだ。

あと、これは当たり前の話ではあるのだけど、うちにある本は全部自分が興味のある分野でどの本もめちゃくちゃ面白い。あれも読みたいこれも読みたいとなってきて、積読してしまうことへの後ろめたさのようなものも薄れてきた。これはいろんな未読本があるからこそできることだし。

積読してしまうことを正当化することもできたことだし、これからも好きなだけ買って、好きなように読んでいく所存。もちろん、片付けも忘れずに。

大切なお時間を使って読んでくださり、本当にありがとうございます! 気に入っていただけましたら、サポートをいただけるととても嬉しいです。これまでにいただいたサポートが、私のモチベーションとなっています。