見出し画像

時代によってモノの価値は変わるー戦国時代における茶器

こんにちは!せきです!
Twitter上では「踊るCOBOLおじさん・せき」として情報発信しております。
ITエンジニアとしての話題が中心ですが、社内向けのマネーに関わる知識展開としてコラムも書いており、こちらはそのnote版となります。

投資の話が最近多かったので、今回は読み物として楽しめるように豆知識系の話題です。私は城を見に行ったり、ゲームの信長の野望をやったりと戦国時代に詳しいのですが、その中でのキーアイテム?として茶器があります。今回は茶器にまつわるエピソードと背景をいくつか紹介します。

■結論:時代、背景を見て「その時価値あるもの」を見極めよう

戦国時代の茶器は大名にとって非常に価値のある物とみなされていて、取引や恩賞にも使用されています。時代によって価値が変わるのはよくあることで、現在では以前見向きのされていなかったレアメタルが貴重な資源として取引されていたりもしますよね。ガソリン代高騰のニュースも、供給が絞られて価値あるものとなってきたから。その時代時期を見てその時に大事なものは何か、それを見極めることが重要です。

■滝川一益、領地よりも茶器を褒美に望む

織田信長配下の武将、滝川一益は遠征前に信長に会った際に、「珠光小茄子」という茶器を褒美として所望したそうです。実際に手柄を上げた後は上野などの知行地を与えられましたが、一益には不満だったようで「茶湯の冥利ももはやつき果てた」と愚痴ったとされています。給料アップ(支配地増大)よりも茶器。今だと信じられませんね。

■茶器を献上して配下に入り、裏切り後茶器とともに自爆。波乱の松永久秀

奈良、大和国の戦国大名の松永久秀。彼は信長が京へ上洛し足利義昭と結ぶと、所持しているレアな茶器「九十九茄子」を信長に献上して協力関係を築いたそうです。その後織田とは敵対したものの反撃を受け追い詰められたものの、もう1つのレア茶器「平蜘蛛」は引き渡しを拒否して茶器を破壊し果てたとのこと。脚色があるかもしれませんが興味深いエピソードです。

■茶器の価値を上げた信長

戦国時代に茶器がもてはやされたのは支配における恩賞の確保が1つの理由としてあったとされています。手柄の褒美は、この時代であれば知行(支配地)を分け与えるのが普通ですが、もちろん土地には限りがありおいそれとは与えられません。そこで信長は茶道具の高級品を買い集め、その上で茶器を与える、茶会を催す許可を出すなどステータスシンボルとしての価値を与えました。茶器を超貴重なブランド物とする信長の経済センスは現在から見ても素晴らしいと思います。

今回は以上です。
経済的に自立し、自由な人生を!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?