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退職読書日記 ♯5 退職とは関係ないけど、「好き」

6月19日(月)
今日は昨日に引き続き、三浦しをん「好きになってしまいました」を読んでいる、暑い。最近はジャにのちゃんねると、そこから山田涼介が気になって、ついつい動画など漁り、私の手持ち時間はサッと溶けて飲みやすいパンシロンのようにあっという間に溶けてなくなる。はかない。

本の方はというと今、全体の4/5くらいを読んでいて
(どうでもいいけど、ごぶんのよん、は五分の四か5分の4か、どう書くのがわかりやすのだろうか。4/5は4月5日と読む方が自然だ、まあいい、9割くらい読み進めたということだ、つまり)。

 ここまでで貼った付箋は4枚。序盤は愛用の付箋が見当たらなくて、まあいいかと思ってマークしてなかったから気になったところはもっとあるはずだけど、付箋が見つかったからといって遡って貼ることまではしない。
 ひょろひょろと飛び出たSサイズの細い付箋。細い付箋は、ピンポイントで1行を示すことができるから便利だ。
 太いと、3行くらいを示しちゃうから、どこが一番刺さったのか、あとからわからなくなることがある。 
 付箋はフィルムタイプで、端っこだけ濃い色になっているもの。ポッキーみたいといえばわかりやすいだろうか。
 文字に掛かる部分は薄い色だから、ちゃんと文字が透けて読める。愛用しているのはカンミ堂のココフセンというもので、付箋は一枚ずつするすると取り出せ、クリップと一体化させて本に装着しておけるものだ。
 たかが付箋といえど、コンフォートを目指してこだわろうと思えばどこまででもこだわれる。

 そうだ、三浦しをんのエッセイと山田涼介の話だった。
私は三浦しをんさんののオタク性に、これまで幾度となく救われてきたのだ。
 救われたって口当たりよくて使っちゃうけど、なんというか、助けられた?安心する?という感覚だ。

 三浦しをんさんは筋金入りの本オタク漫画オタクであり、アイドルやその他の趣味もとことん突き詰めて沼っていくお方だということは過去のエッセイやインタビューからも浸透していることと思うが、この三浦さんの生き方が、強すぎて最高で最強なんである。

好きなことをする、楽しいことをする。そのことになんとなく罪悪感を抱いてしまう気質があって、
「こんなことしてるより先に家事しないと」「こんなに気楽に好きなことをするなんてだらしない」と後ろめたいことがある。

でもそれって、楽しかった時間…例えばアイドルの動画を観ていて溶けた時間、その満足をあとから否定していることになるんだから、たちが悪い。

なんで好きなことして、楽しかったはずのいっときを、時間を無駄にしたなんて後悔してしまうんだろう。そのくせ誘惑を振り切ってストイックに家事仕事に向き合って腹筋でもして生産的で有意義な時間を過ごすほどの意思の強さもないくせに。いかにも思い切りが悪いじゃないか。

三浦しをんさんのエッセイを読むと、好きなものにとことんハマり尽くして時間溶かしまくって、それのなにが悪いんじゃ、と思えてくる。
 実際のところ三浦しをんさんは素晴らしい小説をたくさん書かれていて結果は出しているわけで、その生産性において私と比べるのはおこがましいけども…
 好きなものを好きで、ハマって沼って、廃人になろうと、なにが恥ずかしいことがあろうか、わたしなんてまだ甘いわ!と肯定してもらえ、次いで私は私を肯定できる、ような気がする。

 結局は好きを見つけて、好きを抱いて、生きて死んでいくのが最高の人生なのかもしれない。

もしなにか(だれか)を好きになったら、ひるんだり恥ずかしがったりせず、「好きだ」と感じている自分の気持ちを直視すればいいのだと思う。同時に、独りよがりにならぬよう、好きになった対象物(相手)について、なるべく想像力をめぐらすようにする。好きになれるものやひとがなくても、きらいだったり苦手だなと感じるものやひとばかりだったとしても、「じゃあ自分は、どんな生きかたや社会を求めているんだろう」と考えてみる。それがきっと、「世界を知る」ということなんだろう。         

三浦しをん「好きになってしまいました。」p197

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