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母と子【ただの短歌】

句作するノート傍ら母夜半 我と息子とオーバーラップす


母は俳句を詠む人でした。
中高生頃だったか、よく、夜中に自室からリビングに行くと、家事を終えた母は眼鏡をかけて、テーブルに置いた大学ノートと向き合って、鉛筆を片手に座っていました。
私に気がつくとノートを閉じて、どうしたの? という顔で何かしら話しかけてきたような気がします。

当時は母が何をしているのかは知らなくて、特に知ろうともしなくて、数年後、大学生になってからかな。俳句を作っていたのだと知りました。
でも自分にはわからない世界だと、私はただの一言も、俳句について聞いたことはなかったんです。
死後、母の作った句を読んでみたりはしたけれど、心の内を覗くような後ろめたさがあったからか、一度もノートは開きませんでした。(そういう自覚はなかったけれど、なんだかただ開けなかった)

俳句も短歌も自分には関係のない世界だと思ってずっと素通りしてきたのに、母が亡くなってから十三年、今こうして短歌に興味を持ち、作歌を始めてみたりしているんだから、ああわからないものだなと、思うのです。

そして私が本やノート、スマホと向き合って作歌している時に息子が部屋から出てきたりすると、夜中のリビングでノートから顔を上げた母と、母が見たであろう十代の私の姿が、オーバーラップしたりして。ほんと、不思議なものですね。


#短歌 #今日の短歌


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