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好きという感情には、答がない。好きという気持ちには、どうやって区切りをつければいのだろう。【読書感想文】

恩田陸 の「夜のピクニック」を読んだ。

好きな人と同じものを共有したい、というキモオタムーブを誰しも一回は起こしたことがあるだろう。私も例外ではなく、推しが『学生の頃に読んだことがあり、最近読み直してまた違う受け取り方をして感性が変わったかも』と言っていたのを思い出し、この「夜のピクニック」を不純な動機で読んでみた。

物語の舞台は進学校の高校生なので、推しはこんな設定にも共感したのかなーと考えながら読み進めていったのだが、
浮気に対しての考え方とかいまの私にはわからなくても、推しにはわかるのかなー、とか
この登場人物好きになりそう、とか
隙あらばすぐに推しに当てはめようとしている自分にちょっと参ってしまった。

しかし、この小説には誰かのことが好きで仕方ないと思える、青春時代に感じた甘酸っぱくも利己的な感情を思い出す言葉が多く、存在する。

好きな人に自分と関わることで責任を感じてほしい
(=ぐちゃぐちゃになってほしい)

という一節を見たときには、なんとも言えない恥ずかしいような気持ちになったし、この記事のタイトルにある以下の箇所を見たときは、
心のどこかにある正解を求める気持ち
自分の心を守る臆病な気持ち
がなんて適切に表現されているのだろう、と感動した。

『好きという感情には、答がない。好きという気持ちには、どうやって区切りをつければいのだろう。どんな状態になれば、成功したと言えるのか。どうすれば満足できるのか。告白したって、デートしたって、妊娠したって、どれも正解には思えない。だとすれば、下手に行動を起こして後悔するより、自分の中だけで大事に持っている方がよっぽどいい。』

「夜のピクニック」恩田陸

愛を向ける対象は、人物に絞り込んだだけでも、推し・恋人・友人・家族と様々であり、ましてや親愛・友愛・恋愛・敬愛… のように愛の種類も様々だ。

愛に形はないけれど、綺麗で純粋な好きという気持ちだけでは物足りず、歪んだ醜いぐちゃぐちゃな感情も含めてみてもいいのではないか。
愛なんて基本利己的で、欲の塊なのだから。

それでも、自分が大切だと思う人に愛を向けられたとき、
十分に受け取る器がある心の広い人になりたい、そして
こちら側も無償の愛を提供し続けるような人になりたい、
そう思えた1冊でした。

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