自惚れた勘違い

<2020.02.24.投稿>

体調が悪い時、何かを食べるとしたら何を食べるだろうか。

おじや、うどん、卵スープ、ゼリー

色んな選択肢が思いつく。
その中で、自分の身体の感覚に集中しながら選択する。

これは、これまでの自分の経験や知識の蓄積が役に立っている、ということになる。

しかし、ここ最近、私の知識や経験がことごとく覆されている。
吐き気が強いので卵スープを選んだところ、即座に吐き、それなのに白身魚のフライをタルタルソースをたっぷり付けて食べると胃が喜ぶ。

意味が分からない。

こんなことになっている原因は、妊娠だ。
お腹の中にいるUMAが、私のこれまでの経験や知識、予想の斜め上を攻めてくる。


「人生なんとかなる」
ずっとそう思って生きてきた。

いや、ちょっと違うかもしれない。
「人生なんとかなる。私はなんとか出来る」

いうて、たった30年だけど、そんな風に思っていた。

実際、基本的に色んなことが「なんとかなって」きた。
それは、ただ天に任せた時もあれば、自分なりに手を尽くした時もある。
そういう結果の積み重ねの中で、
「生きていくというのは確かに大変ではあるが、基本的にはなんとかなる。自分自身で、なんとか出来る」
と思うようになっていた。

でも、妊娠して、これが私のおこがましい勘違いだったということに気付いた。自惚れていた。

今までの私の人生は、一言で言えば、勉強だけでどうにかなる人生だった。
勉強したら自分の成績が上がる。勉強したら大学に行ける。勉強したら大学院に行けて、そのあとは就職が待っている。
ちゃんと勉強すれば、それなりに見返りがあった。

そんな単純な世界で生きてきた。
そんな世界は息苦しくも、やはり生き易く、そんな世界からはみ出ないように生きてきた。

単純で生き易い世界からはみ出ないように、私は社会人になってからも、世の中を、無意識のうちに自分の思考の範囲内で捉えようとしていた。

もちろん自身の守備範囲の狭さに苦労する時も多々あったが、その範囲を広げる方法は幼い頃から体得していた。それが「勉強」だった。知識を入れることが、私の守備範囲を広げてくれると知っていた。

そうやって、どうにかこうにか、生温い学生生活を経て、社会人になってからも生温い生き方をしてきた。

でも妊娠して、分かった。
どうにもこうにも、自分の守備範囲で収まらないことが、世の中にはある。

妊娠中のアレコレがまさにそれだった。
自分の身体という「自分の範囲内」で起こった事件であるはずなのに、自分ではどうにも太刀打ちできない。
突然の吐き気。突然の倦怠感。消化しやすいものを食べても吐く。休んでいても辛い。これまでの経験や知識が何の役にも立たないという状況に、戸惑った。

目の前に、自分ではどうにも出来ないことが、突然現れたのだ。

そこでようやく私は、上述したように、いかに自分が、未知のものを自分の守備範囲の内に収めようとしていたのかを思い知るに至った。
自分の生きてきた30年間の世界がめちゃくちゃ狭かったことに、そして、世界を狭めていたのは自分だったことに、気付いてしまったのだった。

自分の理解できる範囲の「外」にある未知のものと、どう付き合っていくか。
そう考えたときに私は、自分の範囲を広げよう!広げて取り込もう、としか考えなかったのだろう。その方法しか知らなかったのだ。

今回の妊娠を通して、もしかして、やり方はそれだけじゃないのか…?と、思うようになった。

自分の中に取り込もうとするんじゃなくて、例えば自分から飛び込んでいく、みたいなイメージ。

正直まだ全然分からないけど、でも、他にもやり方があるのかもしれない…!と気付けたことが、それだけですごくワクワクする。

自分ではなんとも出来ないことが、たぶんこれから先、山のようにあるだろう。

そんな中でどう生きていくか。
これまでのやり方とは異なる方法を模索する時がとうとう来たようだ。

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