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会話・対話・雑談・議論の違いを知り、奥歯の「力み」が緩んだ話。

ふわっと緩んだ気がする春です。
いいお天気の日が続いたり、庭のラズベリーの花が咲きました。
ここのところグッと寒いのですが、もうすぐ暖かくなると思うと嬉しい気持ちです。

今回のnoteは 新しく学びを始めた「雑談コミュニティー」でのことを書きたいと思います。

- 会話や対話、雑談、議論にはそれぞれ違いがある。
- 雑談を学ぶことで、力を抜くことができる。
- ゲストさくちゃん(桜林直子さん)の言葉が目から鱗
この3本柱です。

初回のゲストの方は 桜林直子さん。
ジェーンスーさんとのポットキャスト「となりの雑談」やこちらの本を書かれている方です。


1 新たな学びで「力みすぎていた」ことを知る

まず、私がここ数年学んでいたことをご説明します。
息子が高校留学を希望したことががきっかけで、欧米のランゲージアーツ(言語技術)を学ぶことになり、早くも3年が経ちました。
ランゲージアーツ(言語技術)とは、欧米の言葉を相手に伝えるための技術で、日本でも、三森ゆりか先生が著書大学生・社会人のための言語技術トレーニングを出版されています。
最初は九州のランゲージアーツスクールで学び、「意見を持つ」「問い」を立てるなど、今まで考えてこなかったことを学び、意見を持つことの大切さを学びました。それに加え、「聞く」、「話す」、「読む」、「書く」を学ぶ時間でした。
その学校では、それぞれ細かい部分から教わったため、いつになっても全体像がよくわからず、「ランゲージアーツ(言語技術)ってなんぞや?」とよく友人と勉強会をしました。三森先生の講座を受けるまで、それははっきりせず、言語技術は言葉を使う「型」であり、伝える法則があるということがわかりました。そこでは相手に自分の意見を伝える技術の訓練に力を入れてきました。そんな経緯もあり、「能動的」になることがいかに大事なことかを知り、本を読むと付箋をつけ、人の言葉は「質問を考えながら聞く」という前のめり具合で、物凄く力んでいました。

今回、私が好きなジェーンスーさんの新しいpodcast「となりの雑談」を聴いていた時に、フォローした桜林直子さん経由で「雑談コミュニティー」が立ち上がることを知り、ストレングスファインダーを使って自分の強みを伝える箇所が申し込み欄にあったりと、好奇心が湧きエントリーをしました。

2 ハッとした学び


 会話や対話、雑談、議論にはそれぞれの違い

雑談コミュニティーでは、まず 「対話」のイメージを共有します。
「雑談」とはなに?を学びます。

雑談とは、意思決定を持ち合わせていない会話。「議論」をするより手前にあるもの。互いに話題をテーブルに出し合い、一緒に眺めて話をする時間。
一言で言うと「娯楽」だなって思います。
相手のことを信用していないとできない対話で、そして相手に合わせて言葉をださなくてもいいコミュニケーション。

最初に、「議論」と「対話」の違いがわかりやすい図を見せていただきました。

頭に△(三角形)を描きます。
その図を横に4等分して ピラミッドは四つの枠に別れます。
その一番上段が①議論 、その一段下が「②対話(雑談))、そして③会話、一番下が④挨拶です。
「議論」  意見を交換し時にぶつけ合う場
「対話」 「相互理解」 「意味」の共有
「会話」  当たり障りのない会話
「挨拶」  一瞬の形式的な語句や動作
このピラミッドの図を見て、ハッとして腑に落ちたことがありました。

ランゲージアーツ(言語技術)を学ぶ中で
・クリティカルシンキング 吟味思考
・自分の意見を持つ  とをトレーニングしていきます。

前提が同じと言う考えを根本から疑うなどなど。
これによって相手の意見を理解する姿勢や違いを楽しむことが増えたり、意見を尋ねることが増えました。
今まで言語化せず、そのままふわっと投げ合っていたコミュニケーションや、曖昧さ、察することが必要な会話から変化して、解像度というものも高くなるような、そして違いを知り自分を知ると言うような感覚です。

ランゲージアーツを学んだあと、時々うまくいかなくなる現象が私だけでなく、同じ学ぶメンバーにもおとづれることがありました。意見を作り相手との違いを知り伝える技術を学んでいるにもかかわらず、コミュニケーションがうまく成り立たない気がすると言う現象です。



その理由が初回の雑談コミュニティーのお話を聞いて、一瞬でストンとがわかったのです。議論と対話は違うものという、シンプルなもの。
議論、対話、会話にも、伝える技術があるに越したことはありません。相手がわかりやすい順序で説明したり、話すことはととても役立ちます。

しかし、問いを立て、考え、自分自身の意見を持ち、それを相手に伝えることで技術を磨いて訓練するして、いざ雑談に臨むと、一言「力みがすごい」のです。
「聞き方は集中をしながら質問を考えながら聞く」能動的で素晴らしいけれど、雑談には少々、、、ゆるさが必要なのかもしれません。

「雑談」は、よりリラックスした状態で自然な会話ができるもの指し 意見を持つ手前のもの、決定していなくてもいいの。一緒に机の上に話題を乗せて気楽に楽しむもの。だから、相手が話したものに対して、スパーンと自分のフィルターを通しての意見を自分の立場と視点から述べて、そして例えばジャッジするようなことをしちゃったらもうそこで終わってしまいます。議論の場では反論や、意見が返ってくることがありますが、「雑談」はそれとは違うとわかりました。
決して意見を言うのが悪いと言う意味ではなく、大前提として 「相手を知りたい」欲求があるのから成り立つものなのだということを改めて知りました。
このように、「議論」と 「対話」(雑談)には大きな違いがあります。

言語技術を学んだあと、挨拶程度や会話、たまに少しの対話をするような人に対して、「意見」を持って能動的に聞く姿勢を見せると、それはちょっと「圧」だよな・・・と、「議論」を希望しない、「意見なんてないよ」って言う状態の相手に、能動的に話を聞き 意見を尋ねるとかをするとコミュニケーションが成立できていないことになります。


「雑談」
とは、テーブルに話題を出し合って、一緒に物事を考えたり整理したり、お互いの感想を自由に伝え合える、気軽でリラックスした雰囲気が特徴です。会話を通じて意見を出し合うこともありますが、強引に主張しないことも大切です。聞き方にもコツがあるようです。(それはこれから学んでいきます。)

人の話をジャッジしたり、自分のフィルターで判断しないようにすること、そして質問の仕方もすごく大事だということです。質問の仕方って本当に大事だなと感じます。
雑談って目的を持ったり(悩み解決やコーチングなど)とは違う面が多く、一期一会の貴重な瞬間を共有できる、人と人とのつながりを感じられる娯楽なんだろうなと思いました。

3 さくちゃん(桜林直子さん)の言葉が目から鱗

さくちゃんの印象に残った発言があります。
「よく会話をキャッチボールというけれど、あれはあまり好きではない。」
 
と言う発言。

キャッチボールは、相手に投げやすいものを投げること。そして、受け取ったボールを返し、相手が受け取りやすいように投げることです。しかし、雑談はそうではなく、テーブルの上に双方が話題を出し合ったり、自分の考えを伝えたりします。
そして印象的だった言葉が、「相手の欲しがる言葉をいわない」ということ。
途中、質問に答えてくれることがあったのですが、「質問もみなさん答えやすい質問にしてくれている。 それ本当に聞きたいこと?」って鋭い指摘もありました。

安心して雑談をする相手との時間には、相手の喜ぶ言葉をわざわざ選ぶ振る舞いをしていないなことに気がつきました。でも、「何か言われるぞ」と思ってしまっている相手には、相手の喜びそうな言葉を選んでその場を過ごすことがある自分にも気がつきました。

さくちゃんの「わからなかったら聞くから」という言葉からは、とても安心感を感じました。

そして、再びランゲージアーツスクールで先生がおっしゃっていた言葉を思い出しました。

「質問に答えがないということはあり得ないんです。反抗期があるかもしれませんが、これを許すのは日本だけです。「答えないこと」は許される行動ではありません。」

これは、ランゲージアーツスクールの先生の言葉ですが、確かに、議論する際に、答えないなんてないのだと思います。

しかし、対話や普段のコミュニケーションに「〇〇でなければならない」を持ち込むと、そりゃ話したくなくなるわな。。。って思ったんですよね。
言語技術を学び始めてから頑張って筋トレをしていた感じで、奥歯を噛み締めて緊張しながら練習に励んできたから、今日はその緊張感から解放されたように感じました。


「雑談は、相手に関心をよせる、隠さず出すって大事。深く聞こうとされたら怖くて話せないよね。やだよ。怖いよ。深く聞いてやるぞって思ったらバレますよ。」と 桜林直子さん



今回、雑談を学んで自分の好みの雑談の種類を知ることができました。
私は、人と話す時に「外側情報」大学名、お子さんの学校、家族構成や職業などを聞き、共通の知り合いを見つけたりしながら情報を収集して会話をするタイプの人が苦手です。理由は、そうすると覚えやすいし、縁が繋がっていることを発見するのが早いかもしれませんが、肩書きや職業より最初は、「その人」と話したいと私は願うからです。
イメージやバイヤスを自ら増やす要因になることもあります。
その情報をきいてどうするのだろう?とか(特に子どもの学校など)、それによりお互いの知り合いの接点があったとしても、それは後から出てくるのでいいなという感覚。接点のある友人の話は、共通の知り合いのゴシップ話や思い出など、その場にいる人にとっては不要な情報だったりします。もちろん、共通の思い出をの時間はめちゃくちゃ素敵ですし、お互いの歴史が交わる瞬間は自分や自分と関わる人との存在を確認できる嬉しいギフトです。

例えば、外側の情報交換だけした場合、結果その人の人柄がいまいちわからないまま会話が終わります。だから好きではありません。お互いの好みや考えに触れる瞬間を楽しむ雑談が好みです。
この日のさくちゃんの雑談はそういう意味でも、とても興味があるタイプの雑談だなと感じました。あと境界線についての訓練の話も興味深かったので、今後この雑談を学びながら知っていきたいと思います。


最後に、さくちゃんが、「自分が話せないときは、相手を信用していないからだ」言いました。「雑談」には、お互いの興味関心や信頼関係が大切だと思います。
そう思うと色々確認してからトークすることも重要なのでしょうか。
(それなら学歴、職歴などを聞くことも必須?!)
この 「信用」についてはもっとじっくりと次回お話を伺いたいです。
様々な疑問が湧きあがる楽しい時間でした。
半年間かけて雑談について学んでいきたいと思います。

相手に言葉を伝えるにはテクニックが必要とか。それは誰にでも練習で身に付く!みたいなことをやってきたここ数年。
最近は、目標を設定し逆算して対処することばかりに集中していた自分に気づき
それも大事、でもこのような緩みも大事だと思いながら、この日はフワッと緩んだ夜でした。




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